今まで私のクリスマスは地獄だった。何故なら私の職業がパティシエだからだ。
皆に笑顔を届ける職業。そんな事は働いていないから言えるのだ。長時間の立ち仕事、火傷や怪我の多さ、何十キロもの砂糖や小麦粉、厳しい上下関係、定時では帰れない日々。
実際十二月は残業の毎日だった。残業をしても時間なんて足りない。帰ってきて寝るまでの間も、「明日はあの作業をしないと」と、仕事のことが思い浮かぶ。
夏が終わると恐怖の季節が近づいてくると先輩が話していることがあったが、まさにその通りだった。街中で流れるクリスマスソングに何度怒りをぶつけたくなった事か。街を歩く人が浮き足立つ中、私は泥沼に足を踏み出す気分だった。
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製菓の専門学校を卒業後、私はホテルのパティシエとして働いていた。
一番辛かったのは上下関係の厳しさ。先輩には洗い物をさせてはいけないという謎のルールに困惑しながら下っ端の私は、お菓子を作るより洗い物をしている時間の方が多かったのかもしれない。少しでもミスをすると、先輩やシェフから冷たい目を向けられる。
辞めたいと思った事は一度だけでは無かった。それでも同期と励まし合いながらなんとか二年働く事ができた。あの時の私達のメンタルは鋼より強かったよね、とそれぞれ違う道に歩んだ私達は今でも集まってよく話すのだ。
今は、結婚して子供がいたり、沖縄に引っ越したり皆バラバラである。私は、そのホテルを辞めた後カフェのキッチンとしてのんびり日常を送っている。
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でも、実際ホテルを辞めて気づいた事がある。それはあの十二月の過酷な中でも確かに「パティシエをやっていて良かった」と思った事があったのだ。
先輩はいつも以上にピリピリしていたし、シェフは物に当たり散らすし毎日最悪な空気だった。残業は当たり前の事で、先輩よりも先に帰るのはダメなことだという暗黙のルールが出来上がっていた。けれど、忙しすぎるあまり私達にもホールケーキを作る機会が貰えた。
何台も作るホールケーキ。最初は浮かれていたけど、段々私達はそれが作業になっていた。クリスマスイブまでノンストップで作り続け、ようやく明日で終わると思っていた。この日常から解放されるのかと。
そんな時、ケーキの売り場に用事があり足を運んだ。私達が作ったケーキがお客様の手に渡っていくのが見えた。皆凄く幸せそうで、その時初めて自分の作ったケーキで人を「笑顔」に出来たのだと思った。
私達からしたら何台も作っているケーキ。けれどお客様からしたらその日だけの特別な一台のケーキ。
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今はカフェで働いていて、クリスマスにホールケーキは作らない。十二月でもいつもと変わらない日常で、クリスマスは自分の時間を過ごす事ができる。もう、職場の雰囲気を怖がる必要はないし、浮かれているカップルに腹立つ必要もない。
勿論、凄く幸せなことだ。それでもどこか心の奥で思い出す。あの笑顔を。私達はあの時きっと誰かのサンタクロースだった。