”寂しい”とぽっかり心に大きな穴が空いた日のことを覚えている。
お母さんが亡くなった日だ。
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お母さんがいなくなった大きな穴はすぐに埋まるわけもなく、一人で部屋にいる時、一人で夜道の一本道を歩いている時、今まで経験したことがない”一人で寂しい”という気持ちを胸に抱えて歩いていた。
そんな夜道で一人歩いていたとある日に、ふと「寂しい時 動画」と検索した。
だいたいこんな風に検索した結果は分かっている。
はぁーーと心の中でため息をつく気持ちでダメ元で検索してみた。
やっぱり検索結果は思った通り。
「寂しい時 動画」と検索するとだいたい「寂しい時に実践した方がいい事3選!」とか「寂しい時の対処法!」とか出てくる。
そうじゃあないんだよ。
寄り添う動画がほしいんだよ。
優しさのような、冷たいような、そんな動画が溢れかえっている中で死んだような目でつらつらと上にスワイプしているとふと、その中にぼんやり温かなサムネイルが浮かんできた。
それがYouTuberのYちゃんだった。
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再生すると、Yちゃんの「結論は出さないけどただただみんなと気持ちを共有する」スタンスを感じる動画が流れて涙が溢れた。
意外と、こんな風に寄り添ってくれる動画は少ない。
私の経験上、こんなにも動画が溢れている中で寄り添いの動画は両手で数えられるかどうかしか見たことがない。
もし私がYouTubeをやるなら私も”寄り添う動画”を作りたいと思う。
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そのチャンネルは今では私にとって憧れのお部屋のお手本であり、友達と盛り上がるコテコテの面白いかわいいゲーム動画、グッズを思い切り集めたりフルスイングで推し活を楽しむ動画、Yちゃんの声に癒される素朴なVlog動画で、私の癒しの存在になっている。
けれど、そもそもなんで出会ったんだろうと思い出して辿ればあの動画が始まりだった。
今ではこの最初の出会いも忘れるほどいつも動画を見て楽しんでいる。
いつもありがとうね。
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私はその日から、お母さんが居なくて寂しくなった時はこの動画をお守りにして必ず見ると決めた。
半年に1回の個別面談でも前は寂しくなった時にうまい対処法が見つからなかったけれど、今は寂しい時に必ず見る動画を決めてそれを見て落ち着いているようだと記録に書いてあった時は誇らしかった。
今ではその動画に寄りかからなくても寂しさを乗り越えたりやり過ごすことができるようになった。
その後もたびたび、当時私を救ってくれた動画のようにYちゃんがただただ本音をこぼしてる動画が上がっていてる。
私はその動画が出る度に「あ〜わかるわかる〜」と共感したり、一緒に互いの疲れや大変さを共感してくれるYちゃんの姿に癒されて助けられた。
今だってそういう動画に救われていることは変わらない。
本人は「こんな私の言いたいことだけ言ってるオチのない動画必要あるんだろうか……」とこぼしていたけど、私から一つだけ伝えたい。
とおぉぉぉぉぉーーーーっても役に立ってるよ!!
Yちゃんの動画に今まで何回救われたかしれない!
本当に助けられてるよ!!
支えられてるよ!!
いつもありがとう!!
と。
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お母さんが亡くなって8年か……。
8年も経ったけど、もう乗り越えてきて自立できて慣れた感じがしていたけど、ついこの前久しぶりに寂しさが襲ってきた時に珍しく「お母さん……お母さん……」と呼んでいた自分に気づいた。
やはり心のどこかで小さく「お母さん、お母さん」と求める自分が今もいるんだと思う。
だからね、いいんだよ。
どれだけ大人になってもどれだけ時が経っていてもいくつになっても、お母さんを求めるものなんだ。
そんな時はYちゃんのあの動画に帰ろうか。
Yちゃん、これからもよろしくね。