子供の頃、よく家族で有料の大きい公園にお出かけをした。お花見をしたり、雪遊びをしたりといろんな季節に連れて行ってもらった。車でそこそこ時間がかかる場所なので、親は大変だったろうなと大人になった今、思う。
けれど残念なことに、何かと父に怒られた記憶しかない。怒られたなぁとシュンとなるものの、楽しかったなぁという感情が湧いてこないことがとても悲しい。
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お花見では水筒のお茶をコップに注ごうとしてこぼしてしまい、怒られた。怒られるのは仕方ないにしても「やると思った」と言われたのがショックだった。
その水筒は大きくて古く、私からすると注ぎ方が特殊だ。その水筒以外でそういう注ぎ口の水筒を見たことはなく、大人になった今でも注げない自信がある。注ぎ方を聞いたら「そんなこともわからないのか」と怒られるかもしれないし、「やってみろ」と言われて教えてもらえない上に私が間違ったら嘲笑されかねない。
そもそも場を乱す、空気の読めない発言は父に歓迎されないので、聞くに聞けなかった。
そんなわけで私はお茶をこぼしたのであった。当時小学生の一桁歳児にはいろいろと酷ではないかと、我ながらかわいそうに思えてしまった。
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冬にはスキーウェアを着てその公園で雪遊びをした。雪で作られた大きい滑り台があった。ソリを持参していたので列に並び、滑り台に登ってソリで滑った。
滑り終えた私を迎えた父は、私を叱った。なんであんな滑り方をするのだと。ソリは引きずれるように前側にビニールヒモがついている。私はそのヒモを持たずにソリの前側を掴んで座り、滑った。父はそれが気に食わなかったのだ。
ヒモを持たなかったからヒモがソリの下、雪と接する部分に挟まりながら滑った。ヒモを持っていたらもっとスピードが出たのにバカだねと父はご立腹だったのだ。
危ないからと注意されるならわかるのだが、私からすると楽しかったんだからスピードとかヒモとかどうでも良い。競技でもなんでもないし。むしろ私は鈍臭いので下手にスピード出ない方がよかったと思う。
普段の雪遊びではお目にかかれない大きな滑り台で滑れてとても楽しかったのに、即座にその楽しい気持ちを父親に台無しされた。父は楽しいを台無しにする天才だなと今でも思う。
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どれもちょっと怒られただけじゃんと自分でも思う時がある。でも出来事に対してそこまで怒るかというくらい父は怒る。私が水筒で人をぶん殴ったんかってくらい怒られたし、私はソリで人でも轢いたんかってくらい怒られたのだ。そもそもソリの件に関しては理不尽だと思う。
そして怒られるだけじゃ済まないのだ。怒った後の父はしばらく不機嫌タイムが続く。ぐちぐちうるさい時もあるし、口を利かなくなる時もある。これがめんどくさいのなんのって。
下手したら帰り道の車の運転が煽り運転になりかねない。当時は煽り運転なんて言葉も概念もなかったが、煽り運転は煽られる側は言わずもがな、煽り運転の車に乗っている側もすごく怖い。
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この公園に限らず私がどこかに連れて行って欲しいとせがんだ記憶はなく、父の「今度〇〇に行くか」という鶴の一声で全てが決まっていた。
家族が喜ぶだろうと思っての行為だということはわかっているが、当然家族に拒否権などない。行かない、行きたくないという選択肢はない。そんなことを言った日には生命の危機だ。
そんな家族の意思など存在しないお出かけなのに、父としては連れて行ってやった、遊ばせてやった、だから感謝されてしかるべきというスタンスなのも恐ろしい。
父にはいろんなところに連れて行ってもらったが、どこも「ここでこう怒られた、嘲笑された」みたいな思い出ばかりだ。
親の職業柄、経済状況などで子供の頃どこにも連れて行ってもらえなかったという人もいる中、私はそういう意味では恵まれているのかもしれない。でもこんな嫌な思い出ばかりなら、ないほうがマシなんじゃないかと思ってしまうのもまた事実である。