新卒で入社した会社以外だと、インターンを含めて両手に収まるほどの数しか会社の内部を覗いたことがない。しかしその少ないサンプルの中でも群を抜いて一日に多くの人と関わり、良い意味で騒がしい環境で私は働く。退勤後は、街の四方八方から聞こえてくる音に耳を傾けながら静かに夜道を帰宅する。
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誰も出迎えてくれない部屋に向かって「ただいま」なんて、か細い声でも言ったことはない。
すかさずSONYのスピーカーのスイッチを入れスマホとBluetoothを繋げて音楽を流す。
流すのは大抵、夜風とホットコーヒーが似合うしっとり系の洋楽か有名曲のピアノアレンジ。完全な無音空間は孤独を助長する。
音楽だけではどうにもならないとその次は大抵YouTubeを開く。見るのは決まってとあるお笑い芸人の個人チャンネル。ものの数分で孤独を忘れ、自然と口角が上がっている。
ただそのドーピング剤の賞味期限はせいぜい2~30分、その時が来ると灯のついていない部屋のベッドで再び孤独を迎える。
耐えきれなくなった私は電気ケトルに水を注ぎスイッチを入れる。その間にサーモマグ にコーヒーのドリップパックをセットしてそこにゆっくりとお湯を注ぎ入れる。
そしてマグに蓋をした状態でベランダに出る。夜風が心地良く頬を撫でる。
―夜は孤独の味方らしい。広大な闇の中に溶け込めば寂しさを紛らわすことができる。
先の見えない将来が不安になっても、無条件に抱きしめてほしくても、夜ならいつでも受け止めてくれる。
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これが私なりの寂しさとの向き合い方。
でもこれでは上手くいかない時がある。それは「寂しさの種類」が異なる時。
誰かと一緒にいるのにその“誰か”の視線が“こちら”に向いていない時。
注目されたい、そんなおこがましい要求はないが一方的に話を聞いてほしい時、失敗して凹んでいる時、褒めてほしい時…そんな時はいつものようにいかない。
物理的に近い距離に誰かがいるからといって必ずしも孤独が和らぐわけではないし、その状況は場合によってはむしろ孤独を増大させる。
結局のところ私は他力本願寺で、しかもその時の私の状況とか気持ちや状況を相手に伝えるわけではないから伝わるわけがないし願ってもいない、モヤモヤ製造機になってしまう。
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いつになったらセルフコントロールできるようになるのだろう。
こう思っているうちは本当の意味でまだ寂しさと向き合えていないのかもしれない。
どれだけ表では一匹狼を演じていても孤独を感じない人はいない。退勤後の夜道をワンカップ片手にふらつくおじさんも、ネオン街に消えていく中間管理職くらいの年齢のスーツの人も、泣きながら大声で電話している女の人もみんな自分なりに孤独と向き合っているのだろう。
他力本願は良くないから上手く向き合うための引き出しを増やそう。大学時代からやりたいと思っていた三味線を習ってもいいし、今更ながらアカペラサークルに入るのもいい。週1必ずドライブに行く日を作ってもいいし、休みの日には気になるカフェを巡ってもいい。
孤独と向き合う、とは結局のところ自分と向き合うということなのだろう。