「身体についての悪口は絶対言ってはいけません」
小学校4年生。道徳の時間。当時の担任の言葉。このことをみんな小学校で習うと思っていた。でも実際は違った。その証拠に、中学に入った私には容姿を貶す言葉が浴びせられた。
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「不細工」「顔きもい」。悲しい陰口。本人たちはヒソヒソ声のつもりでも、全部聞こえてる。そんなこと言われても私はどうしようもない。改善も修正もできない。顔を変えろなんて無理な話じゃん。どうしろっていうんだ。そう心の中で小さく反論した。
中学生は容姿を気にし始めるお年頃。当時私は鏡を見ては、自分の顔の不細工さにうんざりしていた。鏡の向こう側にある顔に大きい目もなければ、綺麗な歯並びもなく、小顔を作る素敵な輪郭もない。ひどい顔だ。十分自分で認識していた。そこへ追い討ちをかけるように、同級生から容姿のことについていじめられて、陰口を言われる日が続いた。
わかってる。自分が不細工なのはわかってる。でもどうしたらいいの。一回死んで生まれ変われって言うの?そう毎日悩みながら、俯きながら登校した。私には前髪の乱れを整えるくらいしかできなかった。
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いじめられてる時、小4の時に先生に言われた「身体についての悪口は絶対言ってはいけません」の言葉をよく思い出した。身体以外の悪口ならいいのか?と揚げ足を取りたくなる内容だが、何度も思い出すうちになんとなく、意味がわかった気がした。身体のことで悪口を言ってはいけないのは、道徳的によくないことはもちろんのこと、きっと、話の終着点がないからだ。もし仮に、私が同級生を殴ったとして、その行いを指摘されたとして、私は「悪いことをした」と言うことを自覚して、次から相手の嫌がることをしないように気を付ければいい。行動を改善すればいい。
対して、容姿は誰かを傷つける行動をするだろうか。私の顔がいつ誰を攻撃しただろうか。席替えで隣の席になっただけで、なんで悪いことをしたように言われないといけないんだ。悪者がいない。どうにもできない。
「ねえねえ、みなちゃんの口さ、一回見て、クスクス…」「卒アルのみなちゃんの顔やばい、笑」
そんなことを一方的に言われて、当然、私も仕返ししたくなる気持ちが湧いた。
「お前らもまあまあ不細工じゃん」そう言いたくなるけど、どうしてもそれはしてはいけない気がして、ぐっと堪えた。身体のことは悪く言う対象物ではない。言われた本人が一番痛感している。身体についての悪口はあってはならないし、言われた側はどうしようもなくて傷付くだけだ。
そもそも持って生まれた身体の状態に対して、見た目に対して、良い悪いとあれやこれやとジャッジするものでもない。
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そして気がついた、「あれ、実は私も自分に対して容姿を批難していたのでは…?」と。私の顔に対してキモいだのなんだの言っていた外野はいた。確かにいたけど、自分も自分に対して傷つける言葉をたくさん言っていたような気がした。
目があって口があって鼻があって。ただその位置にその大きさで存在しているだけで、落ち込むことも悲しむこともないんだ。と、考えるようになった。
いじめられた記憶は悪い傷として今も心に刻まれてる。その傷は深い。多分今後も痛む。ただ、その経験から大切な気付きもあった。容姿のことで自分を叩くことをしなくなった。私は自分の顔が嫌いじゃない。そして好きでもない。今はそれでいい気がする。