勤務中、首から下げたPHSが鳴って「はい、W田です」と出る。いけない、また間違えた。そうだそうだ、私はO本だった。

離婚した10年前、しばらく名字を間違ってばかりいた。いったい誰なんだ、W田とかO本とか…どちらも自分ではないような違和感。自分はO本R子であることに慣れたのはどれぐらいたってからだったか。

離婚が決まった時、姓をどうするかしばらく悩んだ。なんとなく旧姓O本に戻るのは気が進まなかった。ならばW田のままで生きて行くのか。名字を変えることで多くの面倒が生じることから改姓しない人もいる。W田かO本か、どちらか決めかねていっそ素敵な響きの好みの(?)姓を名のれたらいいのになどと思ったりもした。

しばらく悩んだが結局、両親と同じO本を名のることに決めた。W田という自分に区切りをつけたい気持ちの方が強かったのだと思う。手続きを終えて市役所を出た時、5月の光がまぶしくて眩暈のような足元がふわっと浮くような不思議な感じがした。気持が自由で、それでいて漠然と不安で一瞬泣きそうになった。

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それからは改姓に伴う用事がたくさんあり、うんざりしながらこなす日々。離婚で姓が変わりましたので、と伝えると一瞬、相手が戸惑うこともあった。私は田舎に住んでいてそこではまだ「離婚」は少し受け入れがたいことだったのだろう。

なんや、なにびっくりしてるんや、私は私だなどと毒づきながら…。自分本位な気持ちばかりで突っ走っていたなと今なら分かる。事後報告に絶句した両親。泣いていたという今は亡き母。名前って何だろうね。何にでも名前があってそう呼ばれているけどそれって何なのだろう。

「もも」5年前に旅立った大切な愛しい飼い犬。小さなおにぎりほどの頭でくるくると回る知恵、とても賢い子だった。2階の手すりからリビングを見下ろして「もも」と呼ぶとくるりと見上げてしっぽを振った。そうか、お前は「もも」なのか。小さな頭をなでて抱き上げると何の迷いもない素直な瞳。ももは「もも」として生きて幸せだった?写真にそう問うけど答えは分からない。

結婚後も改姓しない国があるし、ここ日本でも結婚前の名字で仕事を続ける人や夫婦別姓の人もいる。名前って名字っていったい何だろう。名無しの権兵衛ではなくてこれが私だと分かるもの。今、自分はどこにいて何を考えてどんなふうに暮らしているのか。自分というものを明らかにする。自分というものの表現。

そこに疑問や違和感がなくて自然な気持ちで生きていける、そういうことの表現として名前や名字があってそう名のること。それは自然で自分らしく幸せなことだと思う。

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そして私、O本R子は今、幸せいっぱいというほどはないがO本を名のって自然な気持ちで頑張って生きているよと。これだけは親不孝ばかりだった亡き両親にも報告できる。

今でも昔の知り合いはW田さん、と呼ぶことがあって、はい、と返事をする。確かにW田だったこともある私、今はO本R子を納得して生きている。愛犬ももの澄んだ黒い瞳を思い出し、彼女のように私も自然体でご機嫌に生きて行きたいと思う。