私は、大好きで大好きで仕方がない恋人の誕生日なんて祝日になりそうな勢いで盛大に祝うというタイプだ。リクエストを聞き料理やらケーキやらを用意し、こういうのがあると助かるだろうというプレゼントを用意する。恋人には伝えていないが、恋人を産み育ててくださったご両親に感謝の祈りを捧げるくらいにはめでたいという気持ちが湧く。もはや「目出度い」と「愛でたい」が一緒だ。
一方、恋人は生育環境的にお祝い事に疎く、祝いたいという気持ちをあまり持ち合わせていない。そうして私が祝われる立場の私の誕生日に齟齬が生じまくるわけである。私は、恋人が私のことを大好きじゃないから祝わないんだとか、私は恋人にとって祝う価値のない存在なんだとか考えてしまう。自分の誕生日が近づくと今年は祝ってもらえるかなという緊張と、歳を取る憂鬱さで体調を崩す。
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楽しいはずの記念日なのにと恋人に言われて申し訳ないなと思った。私自身、年相応な恋愛経験を積んでいないので、恋人同士はこうあってしかるべきとか、恋人ってこういうもんでしょみたいなセオリーや固定観念に憧れたり、縛られたりしているのもあるのかもしれない。歳を取ることが憂鬱なので、大好きな恋人に祝ってもらうことでめでたい日にしたい、だから祝われたいという願望もありそうだ。
自分の誕生日当日、恋人と朝から一緒にいるのにおめでとうも何も言ってもらえず、催促して渋々言わせた形になった。祝ってもらいたいって気持ちはなかなか捨てられないが、とりあえず自分で自分を祝おうとケーキを買って帰ったら、恋人もケーキを買ってきてくれてケーキがダブった。
祝わねばなるまいとは思ってくれたのだろう。しかし私が買ったケーキの方が立派でいたたまれなくなってしまった。プレゼントは手作りアクセサリーらしいが「今作ってるから待っててね」と言われて、もう数ヶ月経つ。
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ケーキもプレゼントも物が欲しいわけじゃない。これは相手が喜ぶかもしれないとか、似合うかもしれないとか、そういう労力を自分にかけてほしい。こういうのが好きだよねってあなたのことを見ていますよ、考えていますよ、覚えていますよって現時点での証明がほしい。
制作途中のアクセサリーを見せられたが、素材の色や組み合わせなど、どうしてこういうチョイスをしたのだろうと正直に思ってしまった。恋人のセンスがないのかもしれないが、素直に喜べないことが、だから祝ってもらえないのだというお墨付きにようにも思えて辛い。
恋人が自分の家の庭に花を買っていると知って、「私もキラキラしたものとかお花とかほしい!」とLINEしたら、買ってきてくれた。植え替えすると言いつつ2週間ほど放置されていて、自分の扱いを見ているようで辛くなった。
その後、綺麗だったからとバラを1本買ってきた。黄色いミニバラだった。咲いてはいるものの花びらはキュッと閉じた4輪。私は父の日の花ギフトの冊子の表紙っぽいバラだなと思った。そして縁を切っている父親を連想してしまった。
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私の発言を受けて買ってきたであろうバラである。喜べないどころか心がざわつく。数日経って「ごめんね、このバラ買ってきてくれたのはうれしいし、ありがとうなんだけど、お父さん思い出しちゃって、お世話したり、可愛がったりとか愛でられないかもしれない」と言った。
すると恋人は怒るでも不機嫌になるでもなく、心配して「外に出そうか?」と聞いてくれた。恋人はこのバラをビタミンカラーで元気が出ると気に入っているのにである。
素直に喜べないことを伝えられてスッキリしたのか、バラに対する心のざわめきは落ち着いた。暖房で花が開いてきたバラは父の日感が薄れ、可愛いなと思えるようになった。
今まで何かしてほしいと思っていただけで、どうしてほしいとかそうしたらうれしいなどを言葉にして伝えていなかったかもしれない。それで相手がどうするか、どうなるかはさておき、言葉にして伝えることで自分の中で何か折り合いがつくことが大事なのかもしれない。