女の子として、女の子の社会で過ごしていると、必ず出会うもの、グループ。
特に学生時代は、グループの存在は今以上に大きかった。属したグループごとに教室を移動し、休み時間を過ごし、トイレに行き、ご飯を食べる。
どのグループに属するかはもちろん、どこかのグループに属していることは、学校生活を円滑に過ごす上で、欠かせないことだ。
グループに属するには、グループ内の秩序や団結を維持するためなのだろうか、いくつかの暗黙のルールが存在した。その一つに「恋愛事情の報連相」なるものがある。付き合っている相手がいれば交際事情、いなければいいなと思う人の有無やそれが誰か、進展状況などを報告、連絡、相談しなくてはならないらしい。
このルールを守らなくちゃまずいということは私も認識していた。けれど、その存在意義は私にはわからなかった。
恋愛とは自分と相手の二人でするもので、友人関係とは別次元のものだと私は思う。友人が誰とどんな恋をしようとそれはそれで、それによって私と友人の関係は変わらない。そんな考えが私の根底にあるからだろうか。
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そんな私も、学生時代はずっとどこかのグループに属していた。そして、高校一年生の夏休みの始めころ、同じクラスの人と付き合うことになった。
当時の私は、付き合う前段階の報連相は怠ってもバレないでしょと考え、行わなかった。しかし、付き合うとなるとさすがにまずいと思った。だから、夏休みが明けたら、クラスの同じグループの子たちに報連相すると心に決めていた。
そんな矢先、交際相手から「付き合ってるって同じクラスの子に言わないでほしい」と言われた。私はすんなり了承した。報連相しなくてもいい言い訳を一つ手に入れたと思った。
そのせいで人目につく場所で二人で話したりはできなかったが、部活帰りに待ち合わせて一緒に帰ったりと、交際はひっそりと順調に進んでいった。
部活帰りに待ち合わせたりしていたので、同じ部活のメンバーには交際を報告していた。けれど、変わらずクラスの同じグループの子には報告を怠っていた。
ある日、部活のメンバーの一人から、「なんでクラスの子に付き合っていると報告しないのか、おかしい」と言われた。それに対し、だって向こうが言わないでと言うからと私は返した。相手は納得していないようだったが、私は気にしていなかった。
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それからしばらくすると、私の交際の事実がクラスの女子中に広まり、私の報連相の怠りが露呈した。どうも、私がクラスで属するグループに報告しないのを許せなかった同じ部活のメンバーが、私の代わりに報告を済ませておいてくれたらしい。もちろん私には無断だが。
同じクラスの子も、真っ向から「なんで言ってくれなかったの」と責めてくれたらまだ良かった。そしたら相手が言わないでと言うからと、用意していた言い訳をすることができたから。でも、私にそんな機会は与えられなかった。
はて?
本当の友情とは何だろうか。
何でもかんでも共有し続けることを友情と呼ぶのだろうか。また、友情という大義名分があれば、自分のこう思うを強制力をもって実現することが許されるのか。
それが多数派の友情なのだとしたら、私はどうも少数派らしい。