書くことが好きで得意だと自覚し、そしてとても恐ろしいと思った出来事がある。
それは大学生時代の人間関係トラブルにおいてで、私の書いた文章が独り歩きしていく感覚を覚えた。
他人のバイアスが挟む余地すらないほどに自分のことを自分の言葉で表現したいと強く思う出来事だった。
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当時からもう2年以上の月日が経っている。
トラブル自体はきっとそれほど複雑ではなくて、あれこれと関わる人が増えるにつれて得体のしれない巨大なトラブルとして立ち込めるようになった。
一部の人からは私は被害者と目されていた。
今思うとこのトラブル自体はお互いさまであったのだけれど、当時の私は正直その立場があまり嫌いではなかった。
被害者という立場には同情が集まってくる。
「かわいそう」という言葉に私は慰められて、相手を批判する大義名分を得た気になっていた。
実際当時私やその周囲の人が行っていたことは批判という枠で収まらないこともあり、後述のことで冷静になった私は頭を抱えた。
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ある日、私は当時遭ったトラブルのことをあくまで私視点であるが詳細に記載して公表した。
当時、私の状況が不明瞭であり、不名誉な評判が少しでもあることが心底気に入らなかった。自分の言葉で自分の現状を語れば、余計な憶測を呼ぶこともなくかえってよいのではないかと本気で思っていたのである。
実際に私が想定していたよりも私の文章は読まれた。
読まれてしまった。
期待していた以上の「かわいそう」、そして勝手に捧げられることとなってしまった他人の犠牲。
私の言葉に動かされた誰かの「してあげた」が増えていく。
私は被害者という立場に最初こそ酔っていたけれど、だんだんと私の名前を借りて代弁される声に疑問を持つようになった。
私は、自分で語りたくて発したはずなのに、その文章のせいで私が語られている。
語られたくない、私のことを理解できないのに理解できてるふりをしないでほしい。
私のことなんて誰もわからない、わかるほど簡単じゃない。
あなたたちの言葉で言い表せるほど、平面的で単純な姿を私はしていない。
プライドが、まわりまわって傷ついた。
被害者という同情はプライドを削って手に入っていたことにようやく気が付いて冷や汗が出た。
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「かわいそう」って言わないでほしくなった。
立ち直って前を向けるだけの強さを持っていて強いはずの私を「被害者」という文脈で無力な存在として語らないでほしいと思った。
私をそのように言った人たちは私を守ろうとして言っていることだってわかっているけれど、私をその言葉で語るのはいい加減にしろと思った。
そのとき同じように悩み苦しんでいた人たちをかがみよかがみで見つけ、私もこうすればいいのかなと思い、半匿名というような形で自分を綴ることに憧れを持つようになった。
誰にも勝手に語られないぐらいに、私はこの世界を私の文章で埋め尽くしたい。
文章の持つ力の恐ろしさを刻み、あの日の文章を消し去る日まで書き続ける。