サンタクロースは父親だ。それを知ったのは小学5年生のクリスマスだった。
◎ ◎
私の家では、誕生日にケーキを食べたり、プレゼントをもらう習慣がなく、代わりに母がお赤飯を炊いてくれるのが恒例だった。だからクリスマスは、好きなプレゼントをもらって、ケーキを食べて、いつもより豪華な夕食を食べられる年に一度の日だった。
小5のクリスマスの夜も、例によってテレビでクリスマスの特番を見ながらチキンやケーキを食べた。そして、朝になって枕元に置いてあるだろうプレゼントを想像して、ワクワクしながら布団に入った。
しかし、その年のクリスマスは例年と違って、たまたま深夜に目が覚めた。枕元を見ると、まだプレゼントは置いていない。私が小5の子どもらしく”サンタさんはまだなんだ”と思いながら再び眠りにつこうとすると、隣の部屋の扉がするっと開いた。
隣の部屋は父の寝室だった。私はハッとして思わず寝たふりをした。父は足音を忍ばせて私の枕元に近づき、そっとプレゼントを置いて静かに自分の寝室へ戻っていった。毎年家に来ると信じ込んでいたサンタクロースは自分の父親だったのだ。その事実はちょっとした事件だった。私は布団の中で、静かに衝撃を受けた。
父は、毎年クリスマスの時期になると家電良品店のチラシを見せてきて「サンタクロースにもらうならどれがいい?」と、私が欲しいプレゼントを探りにきていた。私は不思議に思うこともなく「これがいい」と人形やおもちゃ、ゲーム機を指さして父に言っていた。きっと欲しいプレゼントを言えば、父からサンタクロースに伝えてくれるのだろう、と思っていたのだ。
◎ ◎
翌朝、もらったプレゼントを見せながら、母に「このプレゼント、お父さんが置いていったよ」と話した。母は「ああーバレちゃったか」と、特にごまかすことなく笑っていた。なんとなく、父には「お父さんがサンタクロースだったの?」とは聞けなかった。
でも、父も私が気付いたと分かったのか、翌年からは直接私に「何が欲しい?」と聞いてくるようになった。私も私で、「図書券」とか、「現金」とか言うようになっていた。サンタクロースの夢が壊れたショックはあったけれど、子どもは誰もが通る道だと考えると、これも大人になる第一歩と言えるかもしれないと、今となっては思う。
毎年のプレゼントを置いていくサンタクロースが親だったと知ったあとは、大半の家庭の親たちがサンタクロースの振りをして、その存在を子どもに信じ込ませていることを不思議に思った。それが日本の文化というものだと考えるようになったのは、もう少し大人になってからだった。逆を言えば、子どもたちの夢を壊さずに毎年のクリスマスを過ごして欲しいという、親の愛情の表れとも言えるのだろう。
◎ ◎
ところで、令和を生きる子どもたちは現実的だと言うけれど、サンタクロースの存在を信じているのだろうか?
子どもの頃は12月の上旬頃になると、家の物置き部屋からクリスマスツリーの箱を引っ張り出してきて、こたつの横でテレビを見ながらクリスマスツリーを飾りつけていた。フェイクのもみの木をまず組み立て、キラキラした飾りをひとつひとつ引っ掛ける。色とりどりの電飾を巻きつけて、最後に雪のかわりのふわふわしたわたを飾る。
自分の記憶を振り返ると、そうやって“今年もプレゼントもらえるかな?”などとクリスマスを楽しみに過ごしていた思い出は案外悪くない。
大人になってクリスマスツリーを飾ることもなくなってしまったし、プレゼントをもらうこともないけれど、ケーキを食べてチキンを食べて、ささやかながら年に一度のイベント気分を楽しむのも、悪くないものだと思う。