小説を書くのが幼少時からの趣味だった。思いつく物語はつきることがなく、完成したものから、プロットで終わったものまで、全てを数えると数えきれない。小学生の時、小説を書いている私をみて、母が驚いたことをよく覚えている。それくらいのめりこんでいた一方で、小説家になりたい、とは当時全く思わなかった。

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年齢が上がるとともに、だんだん思いつく量は減っていった。3個くらいの小説を毎日のように、この後の展開をどうするか考えていた。登場人物を思い浮かべて、舞台の中を歩かせてみる。そうすると、色んな人に出会って、いろんな出来事がある。どれも暗い話だけれど、とても楽しい時間だった。

そうこうするうちに、ついに小説は一つの物語に集約された。そこでようやく、きちんと作品にしようと考えるようになった。そういった経緯を持って高校から書いている長編小説は、約10年経った今も完成はしていない。書き出してみるとよくわかる。文章を綴ることがどれだけ大変か。適切に表現することがどれだけつらくて難しいか。それでも言葉にすることで、小説がどんどんまとまって行くことに、楽しさを覚えるようになっていった。

10年といっても書いていなかった時期もある。違う作品を書き出した時期もあった。そのブランクはおよそ4年ほど。ふと思い立って、高校生の時に書いていた文章を、もう一度開いてみた。あまりにも稚拙な文章なのは一旦置いておくとしても、もう忘れていたような高校生当時の自分の悩みが赤裸々に綴られていた。なんだか日記を読んでいるようで、気恥ずかしさがある。今の私なら、そんなに悩まなくても良いのに、だなんて声をかけるだろうか。

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過去に一度だけ、文学賞に応募したことがある。この文学賞は応募者全員に選考委員からのコメントがついてくる賞だった。良い勉強の機会だと思い、応募を検討しはじめた。応募条件は短編ということで新たな物語を書かなくてはならない。しかし、これまでを考えると不思議なくらい全く筆が乗らなかった。

そんなある日、初めての経験となることがあった。そのことを書き始めると筆が止まらなくなった。その時の異常さは今でもよく覚えている。降りてきた文章がつきず、吐き出し続けないとどうにかなってしまいそうだった。勢いだけで書いた私小説は最終的に約2万字という条件を満たすことができ、無事に提出することができた。もちろん、賞を取れるような出来ではなかったが、達成感はひとしおだった。ただ一つ、気になった点がある。私が伝えたことと、選考委員の感想がちぐはくだったのだ。その時な私は、自分の文章力の無さかな、と思うしかなかった。

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社会人になり、ふたたび小説を書き始めた。仕事で忙しいにも関わらず、筆は全く止まらない。空き時間全てを小説にあてている。高校からの小説を完成させよう、そう思うようになったら止まらなかった。それどころではない。新しいエピソードが降ってきたと思うと全く止まらないのだ。

そんなある日、過去のことを思い出さないと行けない出来事があった。必死になって思い返していると、ふと当時文学賞に応募した短編小説を思いついた。

おそるおそる当時の小説を開いてみる。読んだ瞬間全てがフラッシュバックした。そこには今ではすっかり忘れていた当時の悩みが赤裸々に綴られている。その時あった出来事、行った場所、感情、全てを読み取ることができる。そして今だからこそわかる。その経験は、私にとってとても辛いものだったのだと。それがわかれば十分だった。

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人生の伏線を回収されているような気持ちだった。あの時書いていた小説に、もう何年も経った今救われることがあるなんて。書いていてよかったとは思わないけれど、小説を書くことは私に取っては日記のようなものだったのだと再確認した。

思い返すと、いつも辛い時に小説を書いていた。色んな人が悩みがあると誰かに相談して発散するように、私は小説に発散させていたのだろう。読み返す文章は、どことなく暗くて、苦しい展開ばかり。小説を書いている時の私からのSOSのようだ。

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言葉にすることで、自分でもわからなかった自分の感情を、きちんと認識ができるようになるのだろう。私にとって、小説にして言葉として出すことは、カウンセリング機能すら持ち合わせているものなのだと思う。