「あなたのことが嫌いです。でも、それ以上に私は自分のことが嫌いです」
これが、絶縁覚悟で彼にぶつけた私の言葉だった。
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高校時代に出会った気弱な友人がいる。彼は声も小さく、自己主張もあまりせず、ひょろっと背が高い。対する私は姉御肌で、彼は守ってあげたくなるような存在だった。彼に声をかけているうちに、彼の繊細な優しさや人の痛みに敏感なところが素敵だなと思うようになった。それはいつしか恋心に変わっていった。
彼は病みやすい人だった。自己肯定感が異常に低く、いつも周りの目を怖がっていた。周囲の人の痛みや苦しみに気づける分、自分に向かう周囲からの目線にも敏感だったのだと思う。緊張しやすく、人付き合いも得意ではないと言っていた。
「自分は他人に迷惑ばかりかけている」、「自分は他人にとって害悪な存在だ」メンタルの調子が悪いときの彼の口癖。それを聞く度に私は悲しくなった。こんなに素敵なところがたくさんあるのに。でも、それを伝えたところで彼は救われないだろうということもわかっていた。私自身もそうだからだ。自分で自分の良さに気づかなければ、自己肯定感の低さは救われない。他人の言葉が自己肯定感を上げるきっかけになることもあるけれど、メンタルが落ちている最中の彼に励ましの言葉は逆効果であると、長年の付き合いで私もわかっていた。
彼にどんな言葉をかけていいかいつも悩んでいたし、私自身も自分の無力さに落ち込んでいた。彼のメンタルの波は大きく、しかも頻繁に上下する。私と彼はなんでも話し合える仲ではあったけど、私も人間なので、いつでもそれに付き合えると言ったら嘘になる。私も疲弊し、だんだん彼と連絡を取らなくなっていった。
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また彼と連絡を取ろうと思い立ったのはとある年末だった。この頃、私は祖父を亡くし、身近でも脳出血や病気などで亡くなる人が続いた。自分も相手も、死んでしまっては何も伝えられないのだと、当たり前のことなのに愕然とした。彼に伝えなければならない。一緒にいて苦しいことがあっても、変わらず彼は私にとって大切な人だった。
しばらく連絡を取っていないので話題の切り出し方がわからず、古風ながら手紙を書くことにした。手紙を書くに至った経緯、ずっと伝えたかった彼の素敵なところ。そして、絶縁覚悟で書いた私の本音。
「こんなに素敵なところがあるのに、自分が害悪だと責め続けるあなたが嫌いです。そして、素敵なところがあるとあなたにわかってもらえない無力な自分がもっと嫌いです」
随分偉そうで、随分自分勝手な言い分だった。自分で自分の良いところを認める難しさもわかっている。だから、どんな言葉で伝えたら良いのかたくさんたくさん悩んだ。こんな言い方をすれば、彼がもっと傷ついてしまうかとも思った。だけど、私はこれ以上は考えられなかったし、もう回り道はしたくなかった。だって、彼も私も明日生きているかわからない。伝えられなくなる日は突然来る。
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何ヶ月かして、彼から返事の手紙が届いた。私が書いた手紙に負けず長文だった。そして最後に「相当な勇気を持って手紙を書いたのだと伝わってきました。ありがとう」という言葉。その言葉を読んで全身の力が抜けた。
乱暴で強引な言葉だったけど伝えて良かったと思う。彼は今でも思い悩むことが多いようだけど、お互いの気持ちを伝え合った私たちはほどよい距離感で付き合うことができている。これが私の、言葉にして良かったこと。