自分のことをとんでもない飽き性だと思う。興味の対象はコロコロと移り変わり、交友関係だってベースは広く浅く。なにをやっても突き詰める前に飽きて放り出してしまうのがわたしだった。
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高校生のときに好きになったアイドルが「やめない」を座右の銘のひとつにしていると知ったときは、運命だと思った。やっとわたしの逃げ道を塞いでくれるひとに出会えた!とすら思った。
とりあえずわたしも「やめない」でいよう、と決意して、しばらくして気がついた。やめないことは、あくまでもわたし自身の選択なのだ。
好きになったアイドルが直接止めてくれるわけもなく、自分で思考して「やめない」選択をしなくてはいけない。この選択はひとつひとつがとんでもなく重く、何度も逃げ出したくなった。でも、だんだん逃げるのも面倒になって、やめない選択を当たり前にするようになった。
それから5年くらい経って、つづけていないと見えないものがあると知った。つづけていれば辿り着ける景色や出会いがあると知った。思いがけないところに連れていってくれるような出会いって、大体の場合は何かをつづけた先にあった。
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高校生のときに所属していた部活の演奏会のお手伝いに行って、その後居合わせた当時の同期6人でカラオケオールをした。ずっと歌い続けていたわけでもなく、お酒を酌み交わしながら本当に色々な話をした。高校生当時のことも、引退からこれまでの5年間の話も、今がんばろうとしていることの話も。
5年という時間は、人や状況を随分と変える。すでに就職して社会人をやっている人、来年から社会人の人、休学している人、来年も大学生をやる人。同時に引退したなんて考えられないくらい、様々な人生を送っていた。その6人が同じカラオケルームの中で、昔みたいな顔をして笑っていた。
今がんばっていることや、これからがんばろうとしていることを話しているときの表情は本当にキラキラしていた。わたしもそうあれたら良いなと願いながら聴いていた。良い夜だった。本当に素敵な夜で、解散して最寄駅から家まで歩きながら、Mrs.GREEN APPLEの『Thater』を聴いて少し泣きそうになった。高校生の頃のわたしには想像もつかない遥か遠い未来があって、そこには心底幸せな夜もあるってことがどうしようもなく嬉しかった。
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やめなかった先の人生は、あきらめなかった人生なのかもしれない、と最近は考えている。どうにか続けようとするときの苦しいような、でもほんのちょっと幸せな感覚を愛せるようになった。それには好きなひともこうやってがんばっているのかなって想像できるようになったのも影響していると思う。
やめたくなったとき、なにかに真摯に丁寧に軽やかに向き合うことをあきらめそうになったとき、好きなひとのことを想う。やめなかった先で花束を抱えて微笑んでいる好きなひとの姿を、まるで目の前にいるみたいに鮮明に描いて踏ん張ってきた。だから、これはわたしが好きなひとに出会って変わったこと、愛がわたしを変えたこと。