「愛さえあれば、他に何もいらない」そんな言葉を聞くたびに「そんなクサいセリフ、私の人生には無縁だな」と思って生きてきた。
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家族や周囲の同級生から大事にされてきたという経験が少なかったせいもあるけれど、どうしても人と人の間に出来る友情や絆、愛情というものを信じる事ができなかったんだと思う。それどころか人からの温かな行為や想いに対してどこか疑り深かったし、時折赤の他人から向けられる優しさにはどんな風に対応すればいいかよく分かっていなかった。
ドラマや映画、本の中で描かれる家族愛にあふれた場面を見るとバカバカしくて、でも本当は羨ましい複雑な気持ちになって作品を最後まで楽しめない事も多かった。愛なんてあっても何も意味がないじゃないか、とどこかバカにした態度を取りながらも愛情に飢えていた思春期の頃。
それでも人に嫌われる事が何より怖かった私は他人に対して過剰なまでに気遣いをしていたので「私はこんなにしてあげているのに。親切にしても意味なんてない。」と何事に対してもひねくれて拗らせた思いを抱えたまま社会に出た。満たされないまま鬱々と日々を過ごしていた私を変えたのは大人になって出来た友人たちや恋人、飼い猫の存在だった。
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私の特殊な環境を心配して気にかけてくれた友人は、出会って日も浅い私に資金援助を申し出て新生活がしっかりと送れるように環境を整えるサポートをしてくれた。
恋人は自分に自信が持てなかった私にまっすぐに気持ちを伝えてくれ、困りごとがあると解決方法を一緒に考えてくれた。雨の日にどうしても放っておけず家へ連れてきた仔猫は感情の乏しかった私にささやかな日々の楽しさや笑顔の時間を与えてくれた。
形にして渡された物もあるけれど、友人や恋人から感じたのは私に対する無償の愛情、思いやりだった。
見返りを求めない気遣いは他人に対して頑なに閉ざしていた私の心を解きほぐしてくれた。愛猫は私が無償の愛情を向ける事が出来た初めての大切な存在になって、「私に何かあったらこの子はご飯を食べる事が出来なくなっちゃう。
「私が健康でいる事が、この子にとっても大切な事なんだ」と思えた事で、今まで投げやりに過ごしていた日々の生活習慣を見直すきっかけを与えてくれた。
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自分の事を大切に、大事にしたいと思えなかった私に出来た「何よりも優先したい、出来るだけ幸せでいて欲しい」と思う事の出来るそれぞれの人たちと関わる内に不思議な事に自己肯定感を少しずつ得る事が出来るようになっていた。
「この服装だと一緒に歩く人が変な目で見られちゃうかもしれない」と無頓着だった身なりを気にかけるようになったし、「私じゃなくて、あなたがどうしたいのか教えて」と根気強く問いかけを続けてくれたおかげでもやがかかったように分からなかった自分の本心ややりたい事が時間の経つごとに表に出てくるようになった。
「出会った頃よりも表情が豊かになったね」と友人が言っていたので、感情を取り戻す内に親しい人に対して自然な表情を見せる事が出来るようになってきたのかもしれない。最近恋人と2人暮らしが始まって毎日の生活がより賑やかで楽しく鮮やかなものになってきた。
自分の気持ちを出す事はまだあまり上手じゃなくて、相手に対するちょっとした不満や相違点が出てくるとどうしても溜め込んでしまいがちになる。それでもその度ごとに「俺たちは平等なんだから、なにも遠慮しないで言っていいんだよ」と優しく諭してくれる彼には感謝してもしきれない。
大切にしてもらっている、という安心感と私も同じように彼を大切にしたいと思える温かな気持ちこそが愛を知る事の出来た私の大きな変化だと思う。