大学生となった今、この共通テストが徐々に近づく冬の時期になると毎年必ず大学受験に向けて、学力試験の勉強や小論文の書き方に苦戦していたなと思うようになった。

電車の中で暗記シートを使いながら単語帳や教科書を開いて勉強していたり、日々の勉強の疲れから電車の椅子に座って口を開けながら眠っている高校生を見ていると私にもこんな時があったなと思うと同時に「勉強したくないの分かるな」「早くこの地獄から解放されたいよな」と思う高校生に共感をせざるを得ない。そんな光景を見ていた時、ある友人から言われた言葉が脳裏に蘇ってきた。

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高校三年生の何気ない一日を受験に向けて忙しく少していたある日のこと、私より一足先に入試を控えていた友人が実は進路変更をしていたことを知らされた。

「私、経済学部を志望することにした。東京の大学で自動車産業を経済の面から勉強してみたい」

純粋に驚いた。なぜなら高校二年生の時に彼女は私に歯科衛生士になりたいと言っていたからである。彼女は歯科衛生士の専門学校に通い、上京することはなく地元に残ると強く語っていたから。私と違って夢が明確でしっかりしているななんて私は呑気に思っていた。

だからこそ進路を大学に変えただけではなく上京することにいつの間に変化していたのかと。まあクラスも違って中々会う機会もないから知らなくたってしょうがないよなと思いながら。一年前に聞いた進路だからそれは変わるよなと思いながらも何より友人なのに知らされていなかったことを少し寂しく思った。

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そして私より一足先に早く入試を終えた彼女は無事に合格をもらった。合格通知をもらったばかりの彼女とばったり廊下で会い、私たちの共通の友人と一緒に廊下で彼女の合格をお祝いしようと思っていた。たくさんの友人が彼女におめでとうと言っていたその矢先、彼女と私の共通のある友人が彼女にこんな言葉を言った。「その大学なら誰でも受かりそう」と。

この言葉を放った共通の友人はこの三ヶ月後にしっかりと合格をもらうのだが、おそらくまだ入試が終わっていない彼女は焦っていて素直におめでとうと言えなかったのだろう。

それを聞いた私は、合格をもらった彼女の顔が一瞬曇り空気が冷たくなったのを感じて笑顔で食い気味に「まあまあ。行きたいところに受かったんだからそれでいいの!本当におめでとう!」と受かった彼女にそう言ったらしい。

でも私はこの言葉を言ったことを全く覚えていなかった。本心で言ったはずなのにあまりにも自然で咄嗟に言った言葉だったからこそ記憶に残っていなかったのだ。

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月日が流れ大学生になり、その友人と会う機会があった。豊洲にあるららぽーとの中にあるレストランで海鮮丼を食べながらそれぞれの大学生活の話や高校生の時の思い出を懐かしく思いながら話に花を咲かせていた。ふと思い出したかのようにその友人は私が言った言葉に感謝している言葉があると。大学に受かったことを伝えたあの日、私が彼女に言った言葉を。

「まあまあ。行きたいところに受かったんだからそれでいいの!本当におめでとう!」

確かに私はものすごく偏差値が高い所ではないが、あの時あなたに言われなかったらずっと引きずっていたと。言ってくれたことで自分の選択が間違っていないことを確信できたと。

これを聞いて彼女が高校三年生の時になぜ進路を変えたことを言わなかったのかが分かるような気がした。それは自分の選択を人に否定されるのが怖かったからだと思っている。彼女は優しく繊細だからこそ周囲の言葉を気にしてしまいそのことを自分自身でよく理解していたからかもしれない。彼女は専門学校から大学に切り替えたことで受験科目も受験方法も一から変えたに違いない。

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私より受験が早かったからこそ早いスピードでそれに追いつかないといけなかったかもしれない。きっとその変化に順応していくのはどれほど大変だっただろうか。

その苦しさがある中でやり切った彼女を誇りに思う私からすると偏差値が高いかどうかは全く関係がないのだ。その人のやりたいことが決して偏差値が高いところで必ずしもできるわけではないし、その時は分からなくても何年か経ってそれぞれの場所でそれぞれが輝くことができたと思えればそれは受験成功と言っていいのだから。

だからこそ私が彼女にかけた言葉がその苦労を一瞬で取り除いて上げられたのかもしれない。そう考えることができた。そしてもう一度大学生になった今彼女に言った。

「まあまあ。行きたいところに受かったんだからそれでいいの!本当におめでとう!」

今度はちゃんと私も覚えている。