恋人の鬱がひどかった時、私は心配でとにかく私の家に来たらと伝えていた。恋人は鬱のイライラで私を傷つけると嫌だからと頑なに自宅療養をしていたが、イライラする気力も果てた頃、私の家にやってきた。
恋人の鬱がひどくなってから会えていなかったので、恋人に会えて嬉しかった私はそれはそれは手厚く看護したらしい。あまり記憶がないのだが、あの時とても助かったと今でも恋人に度々言われる。
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鬱でひどく落ち込んでいる恋人は何度か「なんにもできなくてごめんね」と言ってきた。恋人に会えて嬉しく、一緒に過ごせることも嬉しい私は「居てくれるだけで良いんだよ」ととっさに返した。考えずにそんな言葉がすぐ出て、自分でもびっくりしたのだが、恋人も自分の存在を肯定する私の言葉に驚き、涙ぐんでいた。
ごはん時にも恋人は落ち込んでいた。手伝いもできずに申し訳ないと。私としては一緒にご飯を食べてくれる人がいて、しかも美味しい美味しいと食べてくれることがとてもありがたかった。そう伝えると恋人はとても驚いていた。恋人からするとそういう概念がなかったらしい。
私は自分の料理を「え、なにこれ美味しすぎる。シェフを、シェフを呼んで……、いや作ったの私〜」と一人で自画自賛するタイプなのだが、一人芝居にも限界がある。料理好きでも一人暮らしで自炊のモチベーションを保つのは至難の技だ。そもそも一人だとまともに作らなくなってしまう。誰かに食べさせるとなると自ずとそれなりの物を作るし、恋人はなんでも食べるしなんでも美味しい美味しいというタイプなのでお互いウィンウィンだ。
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そんな療養期間を経て、少し元気になった恋人とランチに出かけた。記念日が近かったのでちょっと背伸びをしてフランス料理のコースである。私は人生初のフランス料理だ。
以前、恋人は私のお金の使い方に口を出したり、けなしたりしたことがあった。いわゆる価値観の違いってやつだろう。二人で決めたとはいえ、ちょっと値の張るこのランチを恋人はどう思うのだろうとドキドキしていた。
お料理はとても素晴らしく、二人で美味しい美味しいと食べていた時、恋人はふいに「一緒に食事してくれてありがとう」と言った。以前の恋人なら考えられなかった発言だし、わざとらしくもなく自然と出てきたであろう言葉だったのでとても驚いた。
恋人の中でお金を使うことは贅沢で良くないことだったのだが、こんな満足度の高い、素敵な使い方というものもあるのだと身を持って知り、すごく感動したそうだ。それと私が療養中にかけた言葉もあってか「一緒に食事してくれてありがとう」なんて言葉が出てきたのかもしれないと思った。
私は歳をとっても人って変われるんだと驚いた。
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突然だが、私の父の口癖は「死ね」や「ぶっ殺す」だ。家族に対して言うわけではなく、テレビなどに向かって言う。とはいえ側で聞いていて不愉快極まりない言葉であることに変わりない。
ある時、私以外の家族はこの口癖に対してどう思っているのだろうと疑問に思い、母に話を振ってみたことがある。母は結婚当初この口癖を咎めたそうなのだ。すると父は「もう俺はこれで三十数年生きてきたから今更変わらない」と言ったそうだ。
それを聞いて私は歳をとったら人は変わらないと思った。父の凶悪さも相まってそれは、若いうちになんとかしないと、という強迫観念にもなった。
恋人とは歳の差があり、母に口癖を咎められた時の父より歳を取っている。でも、それでも価値観が変わったり、言動が変わったりすることがある。それは私にとってすごい希望になった。
若いうちにと焦る必要はなく、歳をとったからとて何かを諦めたりする必要もないと。人生に今更なんて存在しないんだ。そう気付かせてくれた恋人には感謝してもしきれない。