私は北国の出身のくせに、雪の上を歩くのがとてもとても、下手くそだ。

というのは、親の仕事の都合で幼少期から全国を渡り歩いていたからで、生まれ落ちたのが北のほうだという話をすると、それを聞いた相手からは「えー、そうなんだ!スキーとかスケートとか、お手のものでしょ」と、9割9分8厘くらいの割合で訊かれる。だが、答えは否だ。

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雪のない地域を転々として数年が経ち、とっくに物心がついてしばらくしてから戻った故郷で、初めてのスキー授業に出くわした私は、娘の身を案じた両親に連れられ、3〜4歳のまだ赤ん坊に毛が生えた程度の幼い子どもたちとともに「はじめてのスキー教室」とやらに入れられた。

まだ歩くのも不慣れなくらいの子どもたちと一緒くたにされ、プライドがものすごく傷ついた経験がある。それ以来スキーはしていない。今やれと言われたらたぶん、ボーゲンですら怪しい。
スケートだって同じだ。驚くなかれ、私が初めて氷の上に立ったのは高2のときだ。へっぴり腰で生まれたての子鹿よろしく、こわごわと滑るのはもう御免である。

雪の上は、かかとから足をつけて地面を踏むのは、つるりと滑ってそのまま後ろに倒れ込むから御法度だ。つま先を地面に噛ませるイメージで、ずっ、ずっ、と狭い歩幅で重心を前にかけて進むのがいい。

そう教えてくれたのは、大学生のときに付き合った恋人だった。彼は幼い頃からこの雪国で育った人だった。

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私たちは付き合ってしばらく、触れ合うということをしなかった。

いわゆる清いお付き合いをしたかったわけではないが、「なんか、神聖なものに触れるような、そんな感じがして良心が痛む」という彼の謎の言い分によって、私たちの距離感はずっと一定に保たれていた。
手を繋ぐとかその先なんて、夢のまた夢のような、そんな途方もなさとわずかばかりの寂しさを抱えながら、いつも彼の30cm左で、横顔を眺めていた。

その日は例年にも増して寒い日で、前日に積もった雪は行き交う人で踏み固められ、日中にわずかに融解した路面が、夕暮れの冷え込みによって再び固まっているような状態だった。
私たちはあてもなくウインドーショッピングをし、ゲームセンターでコインゲームに興じ、夕食を終えて駅に向かって歩いていくところだった。

冷たく光るアイスバーンが、今にも転びそうな私を待ち構えている。ゆっくり、ゆっくり、と自分に言い聞かせながら歩を進めるも、この道を慣れた様子で歩く彼との歩幅はどんどん離れていった。

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ふいに、思い出したように、彼が歩みを止め、私に問うた。

「俺たちって、恋人同士なんだよね?」

今さら、なにを言うのだろう。

怪訝な顔をしてしまったが、「うん」と返す。
そんなことより、今にも私はこの鋭利な路面に足を取られそうで、気を抜かないようにすることで精一杯だ。

彼が一瞬、考え込むように視線を落とした。私のおぼつかない足元を見ながら、次の瞬間だった。

「じゃあ、こういうことしても、いいってことでしょ」

そう言うと彼は、バランスを取ろうと宙を彷徨っていた私の左手をぐいと掴んで、硬く強張る身体を引き寄せた。

私は、半ば滑るように引力にされるがまま、彼の腕の中に引き込まれる形だ。
びっくりするような話だが、彼と初めて手を繋いだのが、このときだった。

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ずっとポケットに入っていた彼の右手は、ほかほかと温かかった。
それまで不安定だった私の両足は、彼の腕に掴まりながらなら、氷の面を捉え、しっかりと歩けるようになるのだから不思議なものである。

どちらともなく笑い合いながら、イルミネーションに照らされた冬の夜空の下をゆっくりと進んだ。

「ほらね。方法がわかれば、ちゃんとできるようになるんだから」

そう言ったのは、少し頬を赤らめた彼だった。
本当にそう思っているのか、照れ隠しなのか、たぶん後者だろう。
私は、何気なく発されたその言葉を、今でも大切にしている。

相変わらず、私はこの季節になると外に出るのが憂鬱だけど、あなたのおかげで、少しだけ、転ぶ回数は減ったよ。