再会で始まった新たな関係。ちょうどいい距離感で愛を見つけていく

パーソナリティ障がいを持つ私は家庭の愛、男女の愛というものを知らない。知っていたとしても、それは全て映画の中であって空想であった。
そんな環境で26年間過ごして、2024年に分籍届がたったの数分で受理され、戸籍上1人になった私のもとに1人からInstagramのフォローが届いた。誰かわからず、そのアカウントを見てみた。しかし、ロックがかかっていて投稿が見られなかった。得られた情報は共通のフォロワーであった。
その中に私のフリースクールでの同級生や当時の担任の先生がいて、この人は同じフリースクールの人で同級生であることがわかった。安心してフォローバックをしたが、投稿に私が想像している人は写っておらず、少し首を傾げた。ある日、投稿があり、ついに想像している人が一致した。
私は嬉しくなり、「久しぶり!最近なにしてるの?」とDMをしていた。ふっと我に返った。フリースクールで中2から知っているとはいえど、友人が元の中学に戻ってからはさほど話していたわけでもないし、フリースクールを卒業してからは共通の友人から少し話を聞く程度で、全く会っていないのだ。まもなく、友人からDMが返ってきて、しばらくはトークを続け、久しぶりに会おうとご飯に行くことになった。
10年ぶりに会った友人は中学の頃に比べると身長がとても高く、180㎝だと言っていた。
そう、この友人は男だ。中2の頃、隣のクラスに入学してきたが、彼は職員室にいることが多く、なぜか私はよく話しかけてはクラスに呼んだりして、私のクラスに男子たちと彼は仲良くなっていった。彼はたった1年半でフリースクールを後にした。
そんな彼とお互いに過去のことや今の状況などを話していて、あっという間に終電近くになっていた。その会話の中で「俺、人生で初めて告白したのReina.なんだよね。俺にたくさん話しかけてくれた女子ってReina.くらいだったから、めちゃくちゃ嬉しくてさ」なんて言われ、確かにそんなこともあったなと思い、「でも、私、振ったよね」と笑っていた。
彼は続けて「あの時、もし付き合っていたら、今、会ってないかもしれないね」と言ってきた。
私は「うーん」と相槌を打ちながら、そもそもフォローはしてこないかとか、こんなに話さないよなと心の中で思っていた。渋谷で会っていた私たちは帰り道が反対方向だったが、路線が一緒だった。帰り、少し手が触れたが手は繋がなかった。なんとなくの雰囲気でバイバイをした。
翌日あたりから、毎日LINEをしたり、たまに電話をしたりするようになった。まるで、お互いの知らない10年間を埋めるように、そして今とこれからをつないでいくように。
ある日、彼から中学生の受験勉強を見てくれないかと相談があり、私は力になれればと彼のいる千葉まで足を伸ばした。中学生らの帰宅に合わせたため、夜19;00くらいからスタートし、3時間ほど経っていて、湘南に住んでいる私は見事に終電を逃し、彼の家に泊まらせてもらうことになった。
夜が更けて、真夜中になるまで私たちはたくさん話していた。その日、私は彼から10年ぶりに告白を受けた。少し驚いたが、彼といる時間はとても楽しく、落ち着けて、話さなくても楽であって、一言で表すと居心地がとても良かった。私は少し間をおいて「お願いします」と言った。
彼は私自身のこと、病気や障がいのことを考えてくれて、彼自身がどう動いたらいいのかなど、質問してくれてどんどん理解を深めてくれている。そんな人に出会ったことのない私にとって、彼は光だ。何度も自傷行為欲があって、我慢したり、我慢できなかったりしていたが、現状そんな欲は湧いてこない。こんな感情は久しぶりだった。
彼も家族との距離が良くなく、緊急連絡先のない私たちは、お互いを緊急連絡先に書くようになった。こうして、家族みたいに近づけるのかもしれないと思った。私たちは愛を見つけようとしているのだろう。
お付き合いを始めて1か月半以上が経っても、お互いの現状や今後のことを話したり、千葉と神奈川の距離だが週2ほどは会っている。この距離感や1人の時間が程よくある感じが私には合っていて、自分のことも彼とのこともゆっくり考えられる。少し心に余裕が出てきて、仕事にも前向きに取り組めるようになっている。来年はお互いに資格を取得することを目標に今も動いている。
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