あの日、私の好きな人はあなたであるということに気付きました。こんなことは人生で初めてでした。「あまりに近くにいすぎて気付けなかった」という歌詞は、この瞬間のためにあったのだと。

私が今まで好きになった人や付き合った人は、見た目が華やかで、第一印象から好印象で、ぜひ話してみたいと思う人ばかりでした。
でも、あなたの場合は違いました。あなたの第一印象は、「お堅い真面目な人」でした。

子に教えるようにそっと手を差し伸べるあなたを、好きになりました

私が好きになったあなたは、同じ職場（製造業・設計開発）の先輩で、私は配属されてから、わからないことを聞かない日はありませんでした。新型コロナ感染拡大で在宅勤務となっても、毎日質問をメールしていました。
その時は、恋愛感情は微塵も芽生えていませんでした。ただ、初めての在宅で効率が多少落ちても、仕事を進めなくては、という気持ちからせっせと質問していました。
自分の気持ちに気付いたのは、在宅勤務が終わり数日経った日のことでした。

あなたは、仕事に慣れない私の後ろにそれとなくついていて、私が新しいことをやろうとして躓くたびに、そっと手を差し伸べてくれる人です。まるでよちよち歩きを始めた子が転んでは立ち上がり、また歩き始める、その繰り返しでした。
決して初めから答えを教えるのではなく、取り組んだ過程を評価し、良い所はごくまれに褒めてくれました。上手くいかなかったところはどれだけ時間がかかっても一緒に考えてくれ、ひとつずつ解決していきました。
私はあなたの低い声が好きで、厳しくても落ち着いた物言いが心地良かったです。

手が触れる回数も増え、あなたの手の温もりが残るマウスはどこか安心

ある日から私は香水を変えました。初めはあなたの匂いなど気にしたことはありませんでしたが、いつからか、あなたもとても良い匂いがするようになりました。「何の匂いをつけているのですか」と聞きたかったですが、教えてくれないとわかっているので、未だに聞けていません。
仕事が忙しく余裕がなく、世間話はこれでもかというほどしない日々が続きました。

最初は、どれだけ近くで教えてもらっていても手が触れることはなかったのに、手が触れる回数も増えました。偶然かそうでないかは、わかりません。男の人の手とは思えないほど、あなたの手は柔らかくて温かくて器用です。あなたが触った後のマウスはほんのり温かくて、どこか安心します。
また、あなたが現場で組み立てたり調整したりしているのは、ずっと見ていることができます。
私もあなたを見習い、現場でさっと製品を測定できるよう、金属の定規を買いました。設計の仕事に就く前は、ねじはただのねじで、注意を払ったことも有難みを感じたこともありませんでしたが、あなたに教えてもらった部品は、道を歩いていて偶然見かけても、友人と遊びに行った際見かけても、あなたとの会話が鮮明によみがえり、色々と思い巡らせてしまいます。親にもたくさん教えてあげました。

他の世界線で出会っていればと思うけど、そしたらここまで惚れません

あなたが先輩でなかったら、私はとっくに会社を辞めていました。
あれだけ腹が立ち、呆れて、誰に相談したいというわけでもなく、辞めたいと思ったことがあっても、まだ同じ職場にいるのは、あなたがいるからです。そして、あなたが先輩でなかったら、ここまで機械に興味を抱くようにもなりませんでした。

思い通りに仕事が行かず、もっと強く言ってやろうと思っても、あなたが私の側に立ち、あなたの目を見、声を聞くと言えなくなります。
あなたは自分を売り込むのが余りにも下手です。仕事でこれほど売り込み下手ですから、プライベートではもっと下手でしょう。なぜもっと自分をアピールしない？と、こちらがもどかしくなることさえあります。
でもその不器用さが好きです。でも好きという気持ちが募るほど、なぜ私の気持ちがわかってもらえないの？こんなにもすれ違うの？と悔しい気持ちにもなりました。

互いのことが良い意味でも悪い意味でもわかってきて、わがままな所が多少出てきたというか、素直になれないというか、譲れない所が出てきたというか、同じチームでプロジェクトを進める同士ならではです。
もし違う世界線で出会っていればどうだったかと何度も考えましたが、それならあなたには出会えていないでしょうし、ここまで惚れません。

「好き」の二文字が言えず、淡々と仕事をし、たまに質問や世間話を

あなたは、私の知っている人のうちの誰かに似ているとずっと考えていましたが、ようやくわかりました。私の父です。研究者だった父です。
他人と比較することをせず、黙ってすべきことをし、自分をひけらかさない。言い合いになった後、後腐れのなさもそうです。女の子は自分の父親に似た人を好きになるとよく言われますが、これは真実のようです。

今の私があるのは、あなたのおかげです。
しかし、私が仕事上成長した分、質問の量もずいぶんと減り、一日に話す回数も減りました。全く話さなかった日は、どこか寂しい気持ちで退社します。

このまま先輩後輩の関係を続けるべきですか。それとも、私の気持ちを伝えるべきですか。気持ちを伝えたら同じ職場では居づらくなりますか。
私は「好き」、その二文字が言えず、日々淡々と仕事をし、たまに質問、さらにたまに世間話をもって、あなたの隣に行くのです。