SNSの使い分けを考える。こだわりの投稿は誰かのためにするもの?

『言葉にして良かったこと悪かったこと』
これは、SNSに尽きる。
載せすぎるとウザいし、かといって載せないと音信不通でそれはそれで不思議がられる。
かといって写真だけ載せても意味深。匂わせ系になる。
けど、載せることで新たに生まれるコミュニケーションもあるし、久しぶりに会うきっかけにもなる。
私は、結婚式投稿でこだわりを事細かに投稿しすぎて後悔した。
私は相当承認欲求が強いので、投稿は多い人間だった。
しかも少し前ならTwitterだけだったから簡単な一言だけでよかったのに、Instagramが登場して少しでも映えるものを探し、facebookを始めて意識の高い投稿に翻弄された。
かと思ったら次はInstagramでストーリー機能が爆誕。ストーリーって案外難しい。フォントや色使い、コメントの量や撮る角度などわりとその人の性格やセンスが出る。細かく描写をしたストーリーだとなんかウザい感じもするし、読めないくらいちっっっっさい字で長文を書いている人もいればアンケートや投票をしすぎるとかまちょっぽいし、そもそも連投することもできてしまうし。
ちなみに私は極小文字での長文ストーリー以外全部やってしまった。これは悪い例だと思う。
ストーリーに関しては一旦立ち返って映えるものが見つかった時にだけ載せるようにした。これは写真や言葉にして良い例だと思う。
かと思ったら親しい友達機能とやらが出来た。これは使いこなせていない。親しい友達の線引きが不明なので見て見ぬふりをしている。
リアルに親しい友達なのか、人様には見せづらいものを見せつける友達なのか、他の人と是非議論したい。
かと思ったら今度はハイライト機能がご登場。プロフィールに残るなら、普通の投稿と何が違うのだろうか。と思いつつストーリーに載せて良かったものだけハイライトにした。ハイライトを作りながら、一体何のための作業をしているのかと思い綺麗に作り上げられなかった。
友達のを参考に見てみると、点のようにビッシリとハイライトに詰め込んでいる人もいたし、グルメごとに分けている人もいたし、彼氏や彼女ハイライトを作っている人もいた。
結局私はごちゃごちゃのまま残している。これは自分のアカウントなのにだらしないまとめ方をしてしまったという新たな悪い例だと評価している。
一方で私は結婚式の情報収集で色々なアカウントに助けられた側面もあることは確かだ。
常々私はSNSの使い方を考え続けている。
そもそも、目の前のきれいでおいしい食べ物なんて、絶景なんて、もらったプレゼントなんて、自分の心の中にしまっておけばいいのではないか。
結婚式だってそうだ。
家族や新郎との準備や当日の友達との空気なんて、わざわざ繋がっている人全員に発表する必要は無かったのではないか。
コーヒー豆なんて、新鮮な野菜なんて載せなくて良かったのではないか。
自分が目の前のことを楽しむ。それで十分ではないか。なぜそれをわざわざ誰かに発表する必要があるのか。
特に私が載せて良かったと思える投稿は1つある。
それは、「引越しを控えていた時にスキンケア用品とヘアケア用品をラブホの使い切りを使っていたので全身がラブホの匂いである」という類のストーリーだ。
これにはすごい数のいいねがついたので載せて良かったと思っている。
言葉ではないが、地味ハロウィンや飼っているカメがヘンテコな動きをしている投稿も反響が大きかった。正直、嬉しかった。
これを書いている私のfacebookには年末年始の挨拶や2024年の振り返り、2025年やそれ以降の目標や予定が溢れかえっている。
結婚式が済んだ年だし、せっかくなのでよく考えてから載せよう。言葉にしてよかったな、って思えるような投稿を考えたい。
あまり長くせず。細かく書かず。ありきたりのないことを。facebookやってますよ、っていうことさえ伝われば。発表なんてしないようにしよう。Instagramでの映え写真たちとともに流れてくる年末年始の挨拶?それは見て見ぬふりをしよう。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。