言葉にしてよかったこと、悪かったことはたくさんある。

学生時代、仲良しグループの中にどうしても好きになれない友達がいた。なんとなくだが、なんか無視してくることがあるのだ。
知り合ってから、大体3ヶ月くらい経った頃だったと思う。私は素直に、その子になぜ無視してくることがあるのかを聞いた。「何か悪いことをしたなら謝りたい」とも伝えた。

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私は、「思っていることは言葉で伝えることが大切」と思っていたので、正直にLINEで伝えた。するとその子は、「気のせいでしょ。私はそんなつもりはない」と言ってきた。
当時私はまだ10代だったこともあり、「そうなのかな。私の気にしすぎなのかな、勘違いなのかな」と思い、気にしないようにしていた。

しかし、私の疑念は確信に変わっていく。明らかにその時の気分で無視をしてきている。彼女が他の子と話している時に後から合流すると、高確率で話の輪の中に私を入れない。逆に私が別の子と話していると、途中からやってきて別の子に話しかけ、私が入れないようにする。

私以外の子に対してもたまにそういうことをしていたが、他の子に相談しても「わかる〜、嫌だよねー」と言われて流されるだけで、特に何にもならなかった。周りにとっては、不服ではあるものの彼女の在り方がそこまで気に障らないのだろう。

彼女はその時の気分で優しくしたり、不機嫌になったりが激しい子だった。そしてそんなことをしておきながら、それを周りに許されている(ように見える)のも嫌いだった。理由はいろいろあるが、我慢しすぎたのだと思う。自分を雑に扱われたこと、何より真摯に向き合ったのに「気のせい」と誤魔化されたこと。バカにするのもいい加減にしてよと思い、ひどく腹が立った。彼女の悪意を真っ向から受け止めすぎたのだと思う。

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私は卒業してしばらくしてから、仕事や恋愛が上手くいっていないストレスもあって、彼女との付き合いに限界を感じて縁を切った。私に拒絶されたと思った彼女は、周りの子たちに悪口を吹聴していたらしい。

それから何年も経つが、私はいまだに彼女のことを許せていない。彼女の存在は私の中でトラウマになっている。そして、私が人間不信になったトリガーにもなった。
他の子たちは流せても、私は流せない。そんな自分がダメなんじゃないかと、すごく自分を責めた。

共通の友達は、「彼女は、あなたのことが好きだったと思う」と言われ、わかってもらえなかったとさらに傷ついた。人によって許せないことの臨界点は違うのはわかっているが、自分の気持ちのやり場がなくがっかりした。

YouTubeで「トラウマの克服方法」というような動画を見た。動画の中のカウンセラーは、「過去のトラウマが消化できていないとまた同じ場面を繰り返してしまう」と言っていた。
彼女のことが、というか彼女の「在り方」がとても許せなかった。成敗してやりたいみたいな復讐心に満ちていた。それが消化できていない。

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また他の動画のカウンセラーは、「そもそも社会とは、理不尽なものなのです。理不尽を感じやすい人間は、そもそも恵まれてきた人が多い」と言った。恵まれてきたかどうかはさておき、社会に出て、理不尽な目に遭うたびにその言葉を思い出す。私はなかなか「そういうもんだよね」「こういう人もいるよね」と受け流せない。

社会人になり、彼女と似たような「在り方」の人間を見ると、とてもザワザワする。彼女を思い出して許せないのだ。でも、目の前にいる人は彼女じゃない。頭でわかっていても投影してしまう。

言葉にしてよかったのか悪かったのか、正直わからない。言葉にして伝えると、余計にトラブルになることだってある。

「その言動をやめてほしい」と言葉にして伝えても、「自分自身が否定された」と相手が思えばそのように捉えられてしまうからだ。学生時代のいざこざなんてそれまでいくらでもあったのに、なぜか彼女とのことだけずっと引きずっているのだ。

きっと、周りはそこまで彼女の存在を気に留めていないのに、私だけが長年苦しむくらい許せなくて、恨んでいて成敗されるべきみたいに考えてしまっていることへの疑問があるからだ。

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言葉にしてよかったのか?悪かったのか?私は今もわからない。でも、自分の気持ちを尊重し、縁を切ったことをもう責めたくない。私が壊れてしまうし、やはりそういうことをしてもなお許されている(ように見えた)彼女を許せなかった。

「上手くやろうとしなかった私が悪いのかな」「共通の友達に迷惑をかけてしまったな」とか、そんなことばかり頭の中でぐるぐるして鬱になってしまった。

自分をものすごく責めている自分に言いたい。もうそんなに自分を責めなくてもいいと。