人と人を結び付けるのは、多くの時間を一緒に過ごすことだけじゃない

生まれてから、小中高、大学、就職まで私はずっと同じ土地で過ごしてきた。
地元から出られなかったのではない。居心地がよくて、好んで居続けた結果だ。
程々人がいて、程々お店があり、程々山と海がある、バランスの良い土地柄はもちろん、これまでの人生で出会った人々とのつながりなど、まるっと含めて気に入っている。
そんな私も、結婚を機に、このたび地元から旅立つことに決めた。縁もゆかりも無く、友人もほぼいない、片道4時間の新たな土地へ。
心配性で、安定志向で、保守的な私にとって、これは一大決心である。
おそらく数年前の私のままだったら、この決断をすることは出来なかった。
私にとって、この結婚は大変喜ばしいことだった。
何より彼のことが大好きで、結婚してくてたまらなかったからだ。
だから、結婚が決まったときは、嬉しい気持ちで一杯だった。
けれど、彼との結婚は同時に、地元を離れることを意味していた。
毎日当たり前のように顔を合わせてきた職場の人とも、学生時代から仲良くしてきた友達とも、これまで大半の時間を共にしてきた家族とも離れることになる。
離れるとなると、惜しくなる。
仕事の合間のちょっとした雑談も、当日に「ご飯行かん?」と誘える気軽さも、いつ行ってもなんだか暖かい実家とも。
嬉しい気持ちと惜しい気持ち。相反する自分の気持ちに、どう折り合いをつけていいのか分からなくなった。
そんな時、ふと思い出した。
地元から離れた地で生活する友人のことを。
その友人は、結婚を機に地元を離れたが、お互いに何か一大事があれば連絡をとり相談し合う。
何か行き詰ったり、困ったら、真っ先に顔が浮かぶ友人だ。
近くに住む友人以上に、コミュニケーションをとっているんじゃないかと思う。
そしてまた、結婚を申し込んでくれた彼のことを思い出した。
彼とはこれまでずっと、遠距離恋愛をしてきた。
会いたいなと思っても、遠くて、会えなくて、一緒に過ごせる時間は限られていた。
それでも、彼との交際はとても満ちていた。
お互いに、会うことを、会える時間を大切にしてきた。
一緒に過ごせる時間は短くても、心がつながっているなと思える相手だった。
人と人の心を結び付けるのは、近くにいること、少しでも多くの時間を一緒に過ごすことだけじゃない。
何よりも一番は、互いに繋がろうと想うことだ。
それがあれば、物理的に離れても、変わらず繋がっていられるのだと私は気が付いた。
旅立つ先には、家族も友人もいない。慣れ親しんだ職場も一からリセットだ。
彼しかいなくなるのがこわかった。
でも、地元を離れたって、これまで築いてきたものを全てまるっと失う訳ではない。
近くにいたって、繋がろうとしなければ疎遠になるし、遠くにいても繋がろうと思えば繋がれる。繋がりたくなったら、文明の利器ネットだって駆使すればいい。
このことに気づけたのは、離れても繋がりを大切にしてくれた友人と彼のおかげだ。
相手を大切に想い、繋がりを大事にすることもまた、愛と呼ぶのではなかろうか。
そんな愛のおかげで、私は変わった。
地元への名残り惜しさが無くなった訳ではない。
けれど、今まで築いてきた繋がりは、互いに繋がろうと思い続けられればきちんと残るものだということを知った。
そしてまた、この旅立ちは何かを失うだけではない。新たな出会いの可能性も含んでいる。今はちょっぴり、そんな新たな出会いにわくわくしている。
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