メンタル管理の啓発本や保健の教科書には、悩みや心配事があるときの対処法としてノートに気持ちを書きだして整理するというものがある。書いたところで問題が解決するわけでもないのにそんなことをする意味があるのか。当時中学生だった私には意味が分からなかった。

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私のストレスは勉強が主な原因だが、成績そのものが原因とは限らず周囲の人間に影響されて生じるストレスは少なくなかった。私は田舎から中学受験をして完全アウェイで不安な中迎えた中学初めての定期テストで、私はどういうわけか学年10位以内に入った。

次のテストでは1位をとってしまった。ダークホースとなった私は、良くも悪くも注目を集めることとなり、学年トップ層は挑戦状のように難問を私に突きつけ、テスト返しのたびに私の点数を聞いてきた。思い返せば、我ながら健闘していたと思う。

毎日登下校の電車の中でも勉強し、授業後は積極的に先生に質問していた。問題集用にオリジナルの記録表を作って、何度も改良していた。曲がりなりにも自分で工夫してコツコツと積み上げていた。

しかし、陰の努力はあまり評価されていなかった。私の平日の学習時間が特別多くないと知った同級生たちは「あいつは地頭がいいだけだ」と言い出した。受験が近づくといちいち私にマウントをとるような発言をしてくる子さえいた。

頑張っている私を褒めて、と言わんばかりに。受験直前だけ頑張った人は努力してるって言われるのに、なぜ3年間コツコツやってきた自分の努力は認められないのか。悔しくて、努力を自称する人が嫌いになった。

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高校でもテストでは暗黙の了解で常に上位にいることを求められた。私は志望校の医学科でC判定をとって親に心配されて落ち込んでいるのに、順位が2桁多い友人は直前までE判定をとっても根性論で東大を受けようとしていた。模試の成績が上がらずに切羽詰まっていた頃、苦手な数学のせいで凹んだ私の教科バランスチャートをみた彼女に「バカヤロー!」と小突かれた。

友人のチャートはバランスよく得点できているように見えるが基点の偏差値は50、一方の私は60で縮尺を合わせたら私の方がはるかに大きかった。その意味することに気づかない友人は一生懸命数学の勉強法を説いてきた。マスクの中で唇をかんだ。

悪口をいわれたわけでもなく、単に私の被害妄想に過ぎなかった。けれども、中学のころから腹の底に押し沈めていた何かが爆発寸前だった。こんな醜い感情を誰かに晒すことなんてとてもできない。私が向かった先はパソコンだった。

Wordを開いて、指の動く限り思いをぶちまけるように打った。中学時代に努力を認められずに地頭扱いされたことへの悔しさ、努力という言葉を軽々しく言う人への嫌悪感、マウント体質なクラスメイトへの不快感、身の程を知らずに東大を受けようとする友人への蔑み、志望校に落ちるかもしれない不安。

過去6年間のネガティブな場面が頭を駆け巡る中、誤字脱字も気にせず一心不乱に打ち続け、ふと我に返ると30分ぐらい経っていた。乱れうちされた文章は本心を露わにしていた。

才能としてではなくて、積み上げた努力の結晶として認められたい。私だって失敗することも許してほしい。私を見下さないでほしい。6年間言葉にしてこなかった私の闇の根源だった。

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言葉にしたからといって成績は上がらなかったし、友人の態度も相変わらずでストレスの原因は何も解決しなかった。文字面で自分の汚い心を見てしまって自己嫌悪さえ感じた。けれども、汚い言葉を書き連ねたことで私はわたしを客観視できたので後悔はなかった。数日後文章を見返した私は清々しい気持ちでファイルを削除した。