毎週1本エッセイを書いて得た収穫。どうせなら精神は高く伸びていく
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2024年の1年間、毎週1本エッセイを書くチャレンジをしていた。月曜日、仕事が終わるとテーマに合いそうな記憶を掘り起こし、1週間後の締め切りを目掛けて書く。それを、55回繰り返した。
大それた決心があったわけではない。「いつか書くことを仕事にできたら」と思いつつ、無関係の仕事でくたくたになる毎日を過ごしていた。困ったことに、いつかを思うと「今それに向かって努力していない自分」への批判も同時に押し寄せてくるのだった。その波に言い訳するように、毎週1本チャレンジは始まった。毎日パソコンに向かうことで、「努力していない自分」から「努力をしている最中の自分」になれることが嬉しかった。
初投稿から5年、書きたいテーマだけを気まぐれに書いてきた。過去に「月1投稿するぞ!」と決めた時でさえ、ピンとくるテーマがなく1本も書かず終えたのだ。「とりあえず全部書く」というアホな決心が、考えすぎな性格を引きずって駆け抜けた1年だった。
もっとも、怠惰な私を奮い立たせていたのは、貧乏性ゆえのもったいない精神によるところが大きい。1年前の年末年始、休暇中に2週分を投稿した。驚くことに、この時点で「ここまでやったんだから1年やり遂げよう」と思っていたのだ。冬が終わり、春が来て。どんどん大きくなる「どうせなら」を携え、1年を終えようとしている。
毎週締め切りがやってくる生活を続けて、私に起きた変化。
まず、書くことが生活に浸透した。朝ドラ前と夕食後の1時間。集中しづらい自分を律するために購入した15分用の砂時計をひっくり返して、まずは15分!と脳みそを叩き起こす。
「どうせなら」の精神は、高く高く伸びてゆく。
2月の半ばには毎週投稿に慣れが出てきて、文章の書き方を一から学ぶことにした。どうせ書くなら、もっと読まれる作品を書きたい。できたらランキングに長く残るようなものを。本を読み漁り、重要なポイントを箇条書きにした。投稿前にチェックリストとして確認するようになった。
数ヶ月に一度しかログインしていなかったSNSアカウントで、エッセイの公開をお知らせするようになった。自動的に、他の作品を読む機会も増える。エッセイ以外の創作にも興味が生まれ、ZINEを制作することにした。
いつかは自分の作品を本棚に並べたいと思っていたが、50万円~が相場と聞く自費出版は諦めていたのだ。手の届く価格で、お気に入りの装丁で本を作った。文学フリマなど、個人単位での作品販売がかなり盛り上がっている今、ぜひ参加してみたい場所ができたことはこの大きな収穫だった。
書くことへの愛を証明するように始まったチャレンジ。確かに、書くことは楽しいし愛しているが、この1年の私を支えたものは、それだけではない。自分を掘り下げたり、肯定したりすることで、自分という存在を愛せる時間が生まれたのだと思う。その時間が心地よくて、1年があっという間に過ぎ去っていった。
同時に、エッセイが持つ「内省」の側面に難しさも感じた。1人黙々と書き進める行為では、今の私が、過去から再発見する以外に新たな視点を取り入れられない。1人の方が深堀りはしやすいが、他人から得る視点や考えに、改めて価値を感じる1年だった。
来年以降は、外に出る時間に重きを置きたい。目で見て、匂いをかいで、体を動かして。五感ですべてを感じながら、より思考を深めたい。日差しが差し込む1年を夢見ながら、やり遂げた私に「お疲れさま」と声を掛ける。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。