「なな、もしかしてもうすぐ死んじゃうかな」ずっと自分に懐かなかった我が家の鳥が初めて手のなかで撫でさせてくれたときに出た言葉だった。

小さい頃によく「ゾウのせなか」という本を読んでもらっていた。この絵本はゾウの親子の話で、最終的にはゾウの父親が死んでしまう。この話に影響を受けて、私は小さい頃から死に敏感な子供だった。両親が亡くなることを考えて夜中に泣き出したり、飛行機に乗る前に死んだ後のことを考える子供だった。

そんな私を見て死というものを考えさせるために、小学3年生の時に両親が私に買ってくれたのがインコのななだった。

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ペットショップにいき、たくさんいる雛の中から好きな子を選んでいいよと言われ、私は真っ白で目の赤い子を選んだ。単に可愛いという理由で深く考えていなかった。インコを飼っている友人から、インコは10年ほど生きるよ、鳥は長生きだからと聞いていた。

ペットショップからの帰り道、初めてのペットが嬉しくて、私の名前と姉の名前から一文字ずつとってななと名付けた。鳥小屋を揃え、雛の時には私の手から餌をあげた。とにかく可愛くて仕方なかった。

しかし、うちのななは言葉を教えても喋ることはなく、私の肩にのることもほとんどなかった。それでもエサを換え、掃除をして可愛がった。しかしななはいつまで経っても私になつくことはなかった。たまにエサを私の手から食べてくれることはあっても基本的には、母の肩から離れずやがて母ばかりがななを可愛がるようになった。

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なながきてから2年が経った頃、急になながエサを吐き出すようになり、卵を産むようになった。単独飼育だったので無精卵ではあったが必死に卵を温めるななを見て、一生懸命温めても子供は生まれないのにと複雑な気持ちになったことを覚えている。

卵を産むようになってからななの体調はどんどん悪化した。私たちは必死でボレー粉をエサに混ぜ、小松菜や人参など、食べてくれるものはなんでも与えた。それでもななの体調が改善することはなかった。そこから半年ほどしてななは亡くなった。

ななが亡くなる少し前、ゲージを開けるとななは私のところに一目散に飛んできた。いつも噛まれてばかりだった私は少し警戒したがその時は大人しく肩に乗っていたので特に気にすることなかった。

その日からななは少しずつ私に懐くようになった。ペンを持っている私の手に擦り寄ってきたり、ゲージに戻そうとしても肩から離れなかった。そして亡くなる前日、ななは初めて私の手に包まれた状態で頭を撫でさせてくれた。頭を撫でられている間ななは目を閉じてとても気持ちよさそうにしていた。

その様子を見て、「なな、もしかしてもうすぐ死んじゃうかな」と母に言った。母もその言葉を聞いて不安そうな顔をして、そんなことないよ、と言っていた。でも私はどうしてもこれが最後のように感じてしまった。

そこでななが離れようとするまでずっと手のなかで撫で続けた。何度もななに話しかけて思い出話をした。動画をとってななを忘れないようにした。母もその様子を見てか、その夜はななをずっと撫でていた。まるでななが自分が亡くなることを私たちに教えてくれているみたいだった。次の日の朝、起きるとななは亡くなっていた。

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ななが亡くなってから、ななはアルビノで初めから長くは生きられなかったことを知った。私は幼いながらに、あの子はこの家に来て幸せだったのだろうかと考えた。必死に鳥の飼い方を調べていたけれどななにとってそれが快適な空間だったのか、幸せだったのかはわからない。それでも私の手のなかで撫でられていたななの顔は本当に気持ち良さそうだった。

都合のいい考えかもしれないが、あの時のななは私たちに感謝を伝えてくれていたのだと思っている。

ななが亡くなってから私は死というものが怖くなくなった。あの時きちんとななと最後を過ごせたからだ。母もあの時の私の言葉がなければ後悔なくお別れできなかったといった。
ななの死を経験してから、人に感謝を伝えることの大切さを感じるようになった。災害が続く現在の世の中でいつどこで自分の大切な人が亡くなってしまうかわからない。だからこそ悔いのないように感謝を伝えていきたい。あの時ななが教えてくれたように。