苦手な食べ物が多い夫と喧嘩し実家へ。母の言葉とご飯に救われた
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夫は苦手な食べ物が多いひとである。きのこ、ナス、生姜やわさびなど、基本的に私が大好きなものが苦手らしい。
なかでも一番嫌いなものが乳製品などの白っぽい食べ物だ。牛乳やチーズが苦手なためクリームシチュー、グラタン、カルボナーラもだめ。 生クリームの乗ったケーキも食べない。 マヨネーズが食べられないため、それに伴いポテトサラダも手をつけない。
ただ、チーズが食べられないのにピザは大好きな事だけは理解できなかった。ピザのチーズは普通のチーズとは味が違うらしいが私にはよく分からない。友達にもひとり同じ事を言う子がいたので、もしかしたらそんな事もあるのかもしれない。
付き合っていた当初は、「そうなんだ、苦手ならしょうがないよね」 と思っていた。
結婚して毎日料理を作るようになっても、夫の嫌いなものは作らないようにしていた。クリームシチューが食べたい時には鍋を二つ用意して、夫のカレーと同時進行で料理をしていた。自分の事ながら健気だ。
子どもが生まれるとクリーム系の食べ物は喜ぶので、夫の分と分けて作ることも増えた。
ある日の日曜日、私は子どもの面倒を見ながら昼食を準備していた。自分と子どもにカルボナーラを作りながら、同時に夫にはペペロンチーノを準備していた。
夫はといえば、隣の部屋でいびきをかいて寝ていた。
お昼ごはんが完成して夫を起こした。食卓で別に作ったペペロンチーノを食べ始めた夫は、肘を付き、めちゃくちゃ美味しくなさそうに首を傾げながら食べていた。味が薄かったのかもしれないし、寝起きで不機嫌だったのかもしれないが、その態度に私の中で何かが音を立てて切れた。何かではなく堪忍袋の緒か。
私は皿を下げ、「そんなに美味しくないなら食べなくていいよ」と言った。
夫は「別に不味いとは言ってないし」と面倒くさそうに返してきた。
そこからは今まで溜まっていたものを吐き出すように、売り言葉に買い言葉で大げんかになった。気を遣って別のメニューを準備していることも、全てが意味のない事に思えた。
「じゃあ全部自分でやれば?」
私はひとこと吐き捨てて、身ひとつで家を出た。子ども達を置いて。
車でしばらく走ってみたものの、引くに引けずどうしたら良いのか分からなくなった。穏やかに晴れた春の午後、あてもなく車を走らせ気付けば太陽は沈み始めていた。私はそのまま、車で1時間半くらいの場所にある実家へ行くことにした。
実家に着いてインターホンを押して「ただいま」と言った。母は急にひとりでやって来た娘に少し驚き「おかえり、急にどしたん?」と言った。リビングに入って母に理由を話すと涙が勝手に出て止まらなくなった。
泣いている私に向かって母は「家出はしてもいいけど子ども達を連れて来なさいよ」と言った。家出してもいいのか、と思ったら少し気分が楽になった。
その日母の作ってくれた晩ご飯は、お味噌汁や煮物、おひたしなどの何気ない和食だった。けれど味噌汁も母が作ったものは、自分で作るものの何倍も美味しく感じて、また涙が出た。
次の日、夫から謝罪の電話があった。自分が悪かったので戻ってきてほしいということだった。子ども達はどうしているか尋ねると、近所にある自分の実家にいると言った。結局お義母さんにも家出事件はバレてしまい、お義母さんに、本当に申し訳ないと謝られた。
私はその後は食べたいものを作ることに決めた。食べられないなら納豆ご飯でもなんでも勝手に食べてね、というスタンスに変わった事で、気持ちはとても楽になった。
夫は食後の片付けも、お米の炊飯準備も毎日するようになった。週末私が仕事のときは、チャーハンやパスタを作ってくれるようにもなった。
当たり前のことなので一度も褒めたことはないし、味が薄いねとか水っぽいとかもズバズバ言いながら食べている。夫はと言えば、じゃあつぎはそうしよう、と素直にアドバイスを聞くようになった。
あれから何年も経つけれど、夫はクリームシチューもグラタンも普通に食べている。
いや食べられるんかい。
ただケンカのもとになったカルボナーラとペペロンチーノはあれから一度も作ったことはない。
そろそろ作ってみてもいいかもしれない。 夫はどんな顔をして食べるのだろう。
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