小・中学生の時から、「自分のために使われるお金」というものが苦手だった。

そのくらいの歳であれば、実家暮らしで、お小遣いをもらっていることがほとんどだろう。私はその時から、親が払う光熱費や食費すらも申し訳なくていつも罪悪感で苦しんでいた。

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働ける年齢でもなく、自分のお小遣いでできることも大してなく、早く大人になりたいと思っていた。

「親なんだから子どもを育てるのは当たり前」とか、「感謝をしっかりするだけで充分だよ」と言われてきたけど、私の中ではいつも納得できなかった。別に親から生活費のことで責められたことはない。お小遣いを積極的に使うような子どもでもなかった。家族や友人に誕生日プレゼントなどを買うためにお金を使うことはなんとも思わないのに、自分のために使われるお金にこんなに罪悪感を抱いてしまうのはなぜなんだろう。

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私が小学生の頃、父は東京で単身赴任をしていた。あまり帰ってくることはなかったので、父との記憶は少ない。父も父で、こちらで暮らす私たちの生活はよくわからなかったのだと思う。家に帰ってきても仕事か寝るかで、あまり話もしなかった。

父が帰ってきたある日、父と母が些細なことから言い争いになった。まるで家族に興味がないんじゃない?家族のこと考えてるの?と母は言った。それに対して返した父の言葉が、私の中では今でもずっと引っかかっている。「俺は外で働いて家族のために貢献している」と。

父と母がケンカしているのが嫌だった。父が外で働かなくていいくらいお金があれば、父と母のケンカはなくなるかもしれないと子どもながらに思った。でも、働ける年齢ではない私にはお金を稼ぐことはできない。そこで、自分にかかるお金をできるだけ減らせばいいのではないかと考えた。とは言っても食べなきゃ生きていけないわけで、自分ではどうしようもできないその問題を前に立ちすくみ、どんどんお金に罪悪感を抱えるようになっていった。

娯楽のようなものはもちろん、生活に必要なものを買うのでさえ喉を締め付けられるように苦しかった。母には私がこのように感じていることがばれないように努めた。現実を見てみれば、この時の我が家の生活は、子どもが生活を切り詰める必要など全くなかった。両親の不仲が嫌だと感じている私の強迫観念であると私自身も気づいていた。

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自分で稼ぐことができるようになって、自分にかかるお金が自分で払えるようになってやっと、この罪悪感は薄れ始めた。今でも買い物は基本的に苦手だが、生活費などについてはだいぶ割り切れるようになった。

また、父と母がどう、と気にする歳でもなくなったことが大きいように思う。ケンカをするのは父と母の問題だし、その気になれば私は一人でも生活できるだろうと思えるからだ。罪悪感の正体は、父と母がいなければ自分は生きていけないという、子どもの私が抱えていた不安だったのだと思う。経済的自立と精神的自立。これが、私がお金と上手に付き合うための必要条件だったのかもしれない。