カラスとおばあちゃんに背中を押され、今年は「きちんと生きる」

2025年の目標なんて、「きちんと生きる」くらい適当な、卒業論文を書き終え、就職を控えた大学4年生です。
2025年の目標は「きちんと生きる」こと。我ながらなんて抽象的なのだろう、「目標は具体的に」が鉄板だぞ、とは思いますが、この言葉に尽きるのです。たくさんありすぎて。
なぜなら、現在大学生の私は、授業がない日は好きな時間に起きて、寝て、ご飯も適当に食べ、思うがまま、好きなことをして生きている。ですから、数ヶ月後に控えた就職と、それに伴う「きちんとした生き方」に大きな恐れを抱いているのです。本当に、どうしようもないですね。
さて、年末は田舎の実家に帰省して、いつも通りダラダラしていた私ですが、三が日を過ぎ、アルバイトも控えていたので、しぶしぶと1人暮らしの家に戻ってきました。
シーンと静かな家に帰ると、帰省前、臭いが漏れないよう念入りに口を縛ったゴミ袋が2つキッチンの横に溜まっていました。明日は早起きせねば。
翌朝、ゴミ収集の時間に間に合うよう、そこそこ早起きしてゴミ出しに行きました。
するとなんということでしょう、お腹を空かせたカラスたちが、ゴミ袋をつついて開封し、あたりに撒き散らしているではないですか。みかんの皮や腐りかけのトマト、食べ残しの生ごみ、作業着のような洋服が道まで飛び出す、かなりワイルドなカラスたちの食事パーティーにでくわしてしまったのでした……。
私がゴミ出ししようと、恐る恐る近づくと、ふっと振り向いたカラスたちは、バサバサと飛び立ち、すぐ近くの電線から私を見下ろしたのでした。「さぁ片付けたまえ」とでもいうかのように。頭上のカラスから片付けを託された私は、「お前たちが汚したんだろうーーー!」と心の中でさけびながら、汚れ仕事を押し付けられたようで、躊躇し固まっていると、「こりゃすごいねぇ」と後ろから声をかけられました。
一目見たらカラスの仕業だとわかるのですが、「私がやったわけじゃないですよ!」となぜかドキッとして、急いで振り向くと、おそらく近所に住んでいるであろう、おばあちゃんでした。そのおばあちゃんは、「カラスは賢いねぇ」と言いながら、当たり前に落ちているゴミを拾い始めたので、私も「本当にそうですね」と朝イチのカッスカスの声を出し、思い出したようにゴミを拾い始めました。
「それまでコイツ片付けてなかったですけどね」カラスが「カーカー」と告げ口のように喚いています。うるさい!今、ちゃんと拾ってますから!
しかし、素手で拾うのにも限界があり、私は「家、すぐそこなので袋とか持ってきますね!」といって、おばあちゃんの相槌を横目に、小走りで一旦帰宅し、家にあったビニール手袋と大きなゴミ袋を手に、また小走りでゴミ捨て場に戻りました。その間わずか30秒。多分。
ゴミ捨て場に着くと、私たちが片付け出すのを確信したのか、カラスたちは皆、いつのまにか飛び去っていました。そして、おばあちゃんは、小さな箒と塵取りをちょうど持って現れたのでした。そういうの、欲しいと思っていたんです!ヒーロー!
いざ片付け始めれば、あっという間。汚染されそうなものは私のビニール手袋でひろい、細かいものも、おばあちゃんの箒と塵取りが大活躍で、とても綺麗になりました。やったー。
おばあちゃんが「若いのに偉いねぇ、偉い偉い」というので、私は心の中で「もうすぐ社会人なので!」と思いながら、「いえいえ〜」とよくわからない返事をしながら笑いました。もうすこし気の利いたことを言えたならどんなに良かったでしょうか。まぁいいか。
しかしなんだか、帰ってきて早速「きちんと生きる」を少しだけ達成したような気持ちよさ。自室に戻ると、なんとも清々しい気持ちで、心地よく二度寝をしてしまうのでした。
頭上のカラスとおばあちゃんに背中を押された感はかなりあるのですが、私はこれから1人の社会人として、少し悩んでも、やった方がいいことに素直に取り組めるような「きちんとした生き方」をしたいなと2025年の目標が、少し具体的になった出来事なのでした。
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