「今年のクリスマスこそ彼氏と過ごす」

いつからこれが私の口癖になったのかわからない。

今年のクリスマスこそ、この口癖を止められるだろうか。そんな不安を抱きながら、私は今この文章を書いている。

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私が初めて恋愛に関心を持ったのは、小学生のときである。友人の家で読んだ少女漫画に心惹かれ、いつか自分もこんな恋愛をするときが来るのだろうと心から信じていた。

しかし、現実はそう甘くはなかった。制服ディズニー・浴衣デート・クリスマスデートなど彼氏としたいことばかりが増えていくのに、それを叶えてくれる相手と出会うことは中々できない。最後に身近な異性に恋したのは小学生のときであるため、誰かを好きになる気持ちがどんなものであったのか、どうすれば誰かを好きになれるのかなど恋愛における基本的な感情すらも、今ではわからなくなってしまった。

こんな状態のまま自分の中の彼氏いない歴ばかりが更新されていく。

そのたびに、自分は一生結婚はおろか彼氏すらできないまま人生を終えてしまうのではないかという不安が増していく。

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不安になるたび私は、どうして自分が彼氏が欲しいと思うのかについて考える。

そのたび、私は彼氏に「自分自身を無条件に愛してくれる人の存在」を求めているのだろうという結論に至る。もちろん、友人も無条件に私を好いてくれているが、私の中で友人が私にくれる好意と彼氏が私にくれる好意は全く別物である。

そして、私はこれまでの人生において誰かに告白をされた経験もないため、自分は何か人として足りないところがあるから彼氏もできないし、告白もされないのかなと感じ、また別の不安が湧いてくる。まさに、不安のループ状態である。

加えて、中高一貫の女子校に通っていたころは恋愛経験が皆無だった友人たちが大学で恋愛経験を着々と積み重ねている姿をSNSを通じてみて、自分が人生を行き遅れていることを実感し、虚しくなる。

特に、私が虚しさを感じたのは成人式のときであった。友人たちが彼氏の話をしているときに私は会話に一言も入れないし、友人たちが抱える彼氏に関する悩みも全く理解ができなかった。

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彼氏ができない不安に襲われたときの私の不安を解消する方法は、異性の推しを応援することとラブコメ作品を観ることの2択である。これはいわば、現実逃避である。

推し活をしたりラブコメを見ている間は、現実を忘れることができて、とても楽しい。しかし、ふと我に返ると、自分が推しにとっての一番になることは決してないし、自分がラブコメ主人公のような恋愛をできる日はいつ来るのだろうかといった現実を実感し、また虚しさに襲われる。

「いつか彼氏ができるだろう」「今年のクリスマスこそ彼氏と過ごす」と楽観的に生きてきた結果が、今の虚しさや不安につながっているのだろう。

これまでも彼氏を作ろうと、ダイエットにメイク研究、自分に似合う洋服探しなどの自分磨きを頑張ってきた。縁結び祈願に縁結び神社にも行った。ただ、いくら自分自身を取り繕ったり、神頼みをしたりしても「自分なんかが誰かから好かれるわけがない」というネガティブな言葉が頭を過り、出会いの場に行っても異性に声を掛けることができない。

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一度でも家族以外の人間から「好き」と言われることがあれば、私は自分を好きになってあげられるのだろうか。

もちろん、恋愛が人生のすべてではない。恋愛をしたからと言って、幸せになれるとも限らない。本来、1人が好きで基本的に1人でどこにでも出かけられるタイプの私にとって、彼氏の存在は重荷になってしまう可能性もある。

しかし、自己肯定感が低い私にとって、自分のことを愛してくれる存在が家族以外にもいるという事実があることだけで自分に自信を持てるようにもなるし、自分を愛してあげられるようにもなる。

私は今年の4月から社会人になるが、今年のクリスマスこそ「脱・クリぼっち」を目指して、まずは自分を好きになることからはじめようと思う。