奢り奢られ論争で辿り着いた持論。子どもを産む可能性は関係する?

「奢り奢られ論争」というものがある。SNS上でよくみられる、男性が女性の分のデート代も支払うべきか否か、という論争である。
私個人としては、立場が平等な相手なら、男性であろうと奢ってもらいたいとは思わない。
給与が高いとか、年齢が上だとか、何か貸しがあるとか、そういう事情があるなら話は別だ。
ただ、奢られる理由が見当たらず社会的地位が同等な場合においては、自分の分は自分で出したい。相手が女性の場合とで判断基準を変えるべきではないと思う。それが筋が通っていると感じるから。
ただ、これはあくまで現時点での私の価値観なので、皆がそうであるべきとは思わない。
奢りたいなら奢る、奢られたいなら奢られる、それで良い。社会全体としてのベストアンサーはこれだと思う。
その上で、もし現代社会において「男性が女性に奢るべき正当な理由」があるとしたら、なんだろう。
この間、ふと考えてみた。立場が平等な状態で、男性が女性のお代を出すべき正当な理由。「奢り奢られ論争」の終結を目指すためには、それが見つかれば良いのではないか。
予想だが、男性が奢る判断を下している理由の多くは「そういうものだから」「関係性を進めたいから」といったところだろう。
前者に関しては偉いけれど、古い固定観念に基づいた判断だと感じてしまう。
後者は、気持ちは分かるし実際それで有利に転ぶ場合も多いのだろうが、正しさは無い。同程度の収入同士ならば、そこを指標にすべきではないと思う。もちろん、金額に関係なく「お金を出そうという気持ち」に好感を抱く女性がいるという現状は分かるが、それはそれで古い文化から来る感覚だろう。同じくらいの収入で生活している者同士なら、他の部分で気持ちを測った方が自然なように思える。
などと考えを巡らせた結果、一つの結論に辿り着いた。
今の時代に男性が奢るべき理由として、成立するもの。それは「自分の子どもを産んでくれる可能性がある相手だから」じゃないだろうか。
今の技術では、男性はどう頑張っても子どもを産むことは出来ない。それでいて、出産とは非常にリスクが大きい。命を失う可能性だってある。生きて乗り越えられたとしても、妊娠中、出産時、その後の痛みや体調不良はもちろんのこと、産休等によるキャリア形成への影響もある。
だからこのような負荷を背負ってくれる女性に対してなら、同等の経済状況だったとしても食事代を負担するのは納得できる。出会ってから死ぬまでの食事代全てを出したって、十分に見合っている。場合によっては足りないくらいかもしれない。
付き合う前、あるいは付き合いたての時に食事に行く段階では、子どもを持ちたいと思える相手かどうかというのは判断出来ないだろう。
だから、あくまで「可能性がゼロじゃないかどうか」でいいと思う。男性側は「子どもを産んでもらえる、もらいたいと思う可能性が少しでもあるんじゃないか」と思うなら奢る、女性側は「この人の子どもを産む可能性もあるかもしれない」と思ったら奢られる。
もちろんこれが妊娠、出産を拒否する権利を奪うようなものであってはいけない。後から気が変わったり、持病が発覚することもあるだろう。この時点での可能性のみで判断するもので、その後の行動を縛りつけるものではない、という認識は持っておく必要がある。
これならば、男性が奢らなくてはならない理由として、納得感があるのではないだろうか。
繰り返すが、皆がこの基準を導入すべきだ、とは全く思っていない。奢ること、奢られることで安心を得られる人も多くいるのだろうし、それならばその思いは尊重されるべきだと思う。ここまで述べたのはあくまで私の持論であり、そもそも定義する必要すらない事柄なのだ。キモい筆者のキモい持論として受け止めてもらって構わない。
もし「子どもじゃなくて、もっと別の終着点があるんじゃないか」などの意見があるとしたら、聞いてみたい。
私が至れなかった「奢り奢られ論争」を終わらせるにたる答えを出せた方、お手数ですがXにでも書き込んでみてください。私はインターネットズブズブ人間なので、きっといつか、その書き込みに辿り着きます。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。