私は感情を表に出すことが苦手です。思うことはあっても、本音を言うことに抵抗があり、自分の気持ちを言葉にすることは滅多にありません。それは、いわゆる「平和主義者」だからだと思います。

いつからこの性格になったのかは覚えていませんが、少なくとも小学生の頃から「みんなと仲良くしたい」「人間関係にキズを作りたくない」と思っていた記憶があります。自分が我慢すれば面倒なことに巻き込まれることもなく巡り巡って自分に得があると思っていたから。そうすることで一番気持ちの負担が少なく、毎日を過ごすことができると思っていたのです。

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中学校に上がると、私は何でもはっきりと物事を言う友達に出会いました。敵を作らず、波風を立てずに平穏に過ごしたいと思う私とは正反対に、彼女は自分の正しいことを貫き通す性格でした。意思が強いあまり、時には攻撃的になることもありました。彼女との出会いは、今までの中で一番衝撃的なものでした。それでも、ひょんなことから彼女と毎日行動を共にするほど仲良くなりました。正反対の性格ゆえに意見が異なることもありましたが、彼女は時に良い影響を私に与えてくれました。

中学生の私は、「みんなと仲良く平和に過ごしたい」という気持ちとは裏腹に、同調圧力的な雰囲気に嫌気がさすことが多くありました。しかし自分の本音を言うことは少なく、気づけばみんなが嫌がることを引き受ける存在になっていたように思います。

1年生の頃から生徒会や学級委員といった役職を任されることが多く、いつしかクラスメイトや先生から「自分に任せておけば大丈夫だ」と思われていたように感じました。私はそんな雰囲気が嫌になりつつも、断りきれずに引き受けてしまうことが多かったのです。3年生になってもその性格は変わらず、結果として人間関係に悩み、体調を大きく崩してしまいました。

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そんなとき、性格が正反対である友人からこんな言葉をもらいました。

「自分で自分の首を絞めるな。断らないでずっと苦しむより、断ったときの申し訳なさを感じる方がいくらか楽だよ」

私は、正直初めは友人がくれた言葉を消化することができませんでした。なんていったって平和主義者だから。考えれば考えるほどよくわからなくなっていきました。

しかし、このままでは何も変わらないと思った私はその言葉に従い、先生に提案された学級委員の仕事を「嫌です」とキッパリ断りました。側から見たら小さなことかもしれませんが、当時はクラスにいるだけで居心地が悪く感じていたので、悩みの要因が一つ消えたようで心が軽くなったのです。また、このように自分の気持ちを正直に伝えられたことは、私にとって大きな一歩だったように思います。

学級委員を断ったとき、先生から言われた言葉を今でも覚えています。

「嫌だったのがわからなかった」

当たり前ですが、他人は自分の気持ちを知る由もないのだと改めて実感しました。私が断らなかったため、どうやら先生は私がその役職をやりたくてやっていると思っていたようです。このように自分の気持ちを伝えずにいると、誤解を生んでしまうことをはっきりと認識しました。

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友人関係の中で完結するならまだしも、社会の中で誤解を生むことは、友人が言った通り、自分の首を絞めることになると感じました。

アルバイトでお客様が誤解して激昂されたときも、自分の気持ちを正直に伝えなければ、私はアルバイトを辞めることになり一緒に働いていた人にも本当のことを知ってもらえずじまいだったでしょう。

私は小さい頃から「自分がどう思われても構わない」とは思えず、口をつぐむことが多かったのですが、その行動は誤りであると今では強く思っています。自分がどう思われるか気になってしまう人こそ、本音を口にすることが大切だと思います。嫌!と断ることに抵抗がありましたが、私はこのときはっきりと、嫌ですと口に出して良かったと心の底から思っています。