私には心から尊敬する友人がいる。彼女とは高校時代の塾で知り合い、受験期という多感な時期を共に乗り越え、支え合ってきた。

彼女は常に優しく、私がこれまで出会ってきた人の中で一番周囲に気を配れる人だ。頭脳明晰で、課外活動も積極的に行い、塾内でもひときわ存在感を放っていた。

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そんな彼女との出会いは、私の人生において特別な意味を持つ。

志望校が同じということもあり、私たちは受験対策を一緒に行うことが多かった。高校3年生の1年間は、毎日学校帰りに塾の自習室で顔を合わせ、夜ご飯を食べ、帰り道には様々な話をして過ごした。その時間は、勉強に追われる日々の中での心の支えだった。

しかし、受験の結果は私たちの運命を分けた。彼女は志望校に合格し、私は落ちてしまったのだ。

結果が出てから彼女に会うまでの間、どのような顔で会えばいいのかわからなかった。不安を抱えながら久しぶりに会った際、私は自分の進路を伝えながら涙が止まらなくなった。同じ志望校を目指していたのに自分だけ落ちた不甲斐なさ、そして一緒に対策をしてくれた彼女の時間を無駄にしてしまったという申し訳なさが胸を締め付けた。その時の私の行動を今振り返ると、ただただ彼女を困らせてしまったと反省している。自分の感情に精一杯で、周りへの配慮が足りなかったのだ。

それでも彼女は私が泣き止むまで何も言わず、ただ背中をさすり続けてくれた。そして、私が少し落ち着くと、私の好きなアイドルの話をして気持ちを明るくしてくれた。それまで私は、自分が悲しんでいるときはもちろん、人が悲しんでいるときも、感情移入して寄り添うことが最善だと考えていた。しかし、その時の彼女の対応から、それだけが正解ではないと気付かされた。彼女は私の性格やこれまでの行動を踏まえ、明るい話題で励ますことが適切だと判断してくれたのだ。その優しさと機転の利いた行動は、普段から周囲の人に気を配っている彼女だからこそできたのだと思う。

この経験を通じて、私も人が弱っているときに寄り添い、明るく励ますことのできる人になりたいと強く思うようになった。

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そして大学生になった今でも、私たちは定期的に会い、近況報告をし合っている。塾で出会った友人が、ここまで仲の良い、一生の友人になるとは思っていなかった。なぜここまで深い絆が築けたのかを考えると、彼女の人柄の素晴らしさはもちろんだが、受験というデリケートな話題を学校の友人には相談しづらかった分、塾で出会ったからこそ本音で話せたことが大きかったのだと思う。自分の弱みをさらけ出し、それを共有できたからこそ、信頼関係が深まったのだ。

また、私たちが築いた絆には共通の目標を追い求めた時間が大きく関わっている。彼女と同じ志望校を目指すことで、互いに切磋琢磨し合う関係が自然と生まれた。一緒に問題集を解き、模試の結果を見せ合いながら励まし合った日々は、私の中で今でも輝く思い出だ。

それと同時に、目標を達成できなかった自分への悔しさや葛藤も、彼女がいたからこそ乗り越えることができた。大学に進学した今でも、私たちの関係は変わらない。新しい環境での日々や将来の夢について語り合う中で、互いに刺激を受け続けている。

最近では、彼女の挑戦する姿に感化され、私も新しいスキルを学び始めた。こうしてお互いを高め合える友人がいることは、私にとって何よりの財産だ。

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あの時は直接伝えられなかったけれど、今だから言えることがある。

最高の友人に出会えたことを心から幸せに思っている。つらい時に支えてくれて、本当にありがとう。これからも互いに成長し続け、支え合える関係でいたいと思う。