お金持ちじゃなくていい、今より少し楽に暮らしたいだけなのに
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お金とは、どうしてこうも仲良くなれないのだろう。そう思ったことが一度はあるのではないだろうか。お金持ちになりたいとか、宝くじを当てたいとか、お金に関する欲と妄想は膨らむ。一方でめぐりめぐって落ち着くのは、お金持ちにならなくても、今より少し楽に暮らせるようになりたい、という考えだ。
毎月給料をもらっても、あともう少しあれば貯金ができるのに、旅行への積み立てができるのに、と思ってしまう。なぜこんなにも引かれているかわからない税金にもため息が出てしまう。額面通りの支給額なら満足できるのに、と何度思ったことか。休日や毎月の予定を照らし合わせ、できるだけお金を使いすぎないように計画しているのに、気づくと赤字になりかけている。なぜだろう、どうしてこうなったのだろう、と反省するのも恒例になってきているのだから悲しいばかりだ。
さすがに貯金も少なくなってきて、いよいよダブルワークを迫られた時期があった。休日返上で働き、わずかなバイト代でも収支は潤う。今月もなんとか過ごせた、と胸をなでおろす。
今月稼いだ分は旅行に行く資金に加えよう、美味しいものを食べよう、など稼ぐ予定の金額を予想して妄想してみるものの、タラレバを実行に移す計画を立てるだけで終わる。自転車操業の家計なので、毎月の収支の足しにすればたちまち消えていく。休日に仕事をいれているので、プライベートな予定はほとんど合間を縫って入れ込むしかなくなる。定期的に通わなければいけなくなった病院や美容院、行きたかったイベントや趣味などもほとんどお預け。休みであればできたかもしれないことができない悔しさも積み重なった。
収入に助けられてはいたものの、思うように動けないストレスは大きかった。数ヶ月働いて、ようやく全体的に仕事ができるようになった頃に、ダブルワークをやめた。やめてからも当然だが生活は苦しいままだ。趣味にお金を使いたいと思うけれど、贅沢はできないので、できるだけお金のかからない方法を探る。急な出費もかなり痛い。財布が空になってため息をつくようなイメージだが、感じている痛みは第三者が考えている痛みの想像以上であると断言できる。嘆いても返って来ないことはわかっているけれど、嘆かずにはいられないほどだ。
お金との距離感は、いつになっても難しい。満足できる距離感を得られるのはいつになるのだろうか。下手をすると一生来ないのかも知れないとさえ思う。20代は苦しくてもなんとかなるかもしれない。けれど、30代、40代と年齢を重ねていくと、どうにもできなくなるだろうという不安もある。これからもつきまとう問題だと思ってしまうと、考えを放棄したくなるほどだ。
私がちょうどよいと思う距離感は、趣味も貯金も無理なくできるくらいに稼げること。お金の心配はたまにするくらいで、プチ贅沢をしても罪悪感がないことである。制限されることなく楽しめるには、それなりの収入が必要なので、それを構築できる働き方やお金との向き合い方を考えなくてはいけない。今の自分の課題として上げていることの1つだ。ストレスに感じないくらいに働けるダブルワークと、私に元気をくれる趣味の時間。両方がバランスよくできるポイントをぜひ探してみたい。できるだけ早く見つけて、30代、40代に残す不安を少なくしたい。
こうしてエッセイを書いている間に、満足できる、もしくは納得できるお金との距離感をつかめる日はくるのだろうか。その日が来た暁には、声高に綴ってみよう。お金と仕事とプライベートと、すべてがバランスよく掛け合わされたとき、私の気持ちの変化や今の不安が解消されたのかを。両手を離して喜べていたらいいな。毎日が楽しくなっていたらいいな。どんな日も明日が楽しみになっていたらもっといい。
さて、今は解決策を考えるときなのだろう。だから来る日を迎えに行ける準備を始めてみようと思う。手繰り寄せれば来てくれるだろうか。期待をこめて、今日も向き合うとしよう。
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