長年連れ添ったパソコンが壊れて気づいた、替えの効かない自分の存在

恋人に「あなたは話が面白いから、なんか書いてみれば」と言われ、とある文学賞を教えられた。書いてみればと言われて書いてみて、書けてしまったので私は調子に乗った。調子に乗って他の公募にも挑戦した。
かがみよかがみもその1つだ。鳴かず飛ばずだったが、かがみよかがみは違った。採用に私は舞い上がった。調子に乗って舞い上がり、そうして2024年は書いて書いて書きまくった1年になった。
かがみよかがみは投稿だけが楽しみではない。他のかがみすとさんのエッセイを読むのも楽しみだ。かがみよかがみでの投稿を通じ、ZINEを出すというエッセイを読んだ。ZINEは個人が出す冊子のことだそう。そういう道もあるんだなと思うと同時に、かがみすとさんの行動力に感服した。
年末の楽しみの1つに好きな占い師さんの半年占いがある。自分の2025年前半の占いを読んでいて、そうだ私もZINEを出そうと思った。それから頭の中はZINE一色になった。怒濤の勢いでコンセプトから内容を書き上げ、タイトルまで決めた。ZINEとして出すにはまだ内容が足りないものの、あまりの勢いに自分で自分が恐ろしくなった。ちょっと落ち着こうと筆を置いた。そして私はクリスマス、年末年始を過ごしていた。
お正月も過ぎ、世の中が通常運転になってきた。私も通常運転に筆を取ったが、筆が乗らない。というか書けない。書けたとしても微妙な出来だ。私はスランプになってしまった。ZINEはさておき、かがみよかがみには締め切りがある。私はかがみよかがみと出会った時点で定年まであまり期間がなく、いつからか全部のテーマに応募するんだと決めていた。他の誰でもない自分との約束だ。
でも書けないものは書けない。思わず私は頭を抱えた。すると頭の手触りに違和感を覚えた。最後にお風呂に入ってから3日くらい経っていた。ダルい、疲れた、寒い、光熱費が……などと、何かと理由を付けて風呂をキャンセルしてしまう。
お風呂に入れないような状態の時は食事もままなっていなかったり、外出できなくて買い出しに行けなかったりと、生活がままなっていない。そもそもの生活がままなっていないのに執筆なんてできるわけがない。食べて、お風呂に入って、寝る。まずはそこからだろう。
まず生活を整えようと決意を新たに、お風呂に入るべく原稿のデータを保存しようとしたら、パソコンが動かない。見たことのないフリーズだ。私はまた頭を抱えたのであった。
パソコンは壊れてしまった。古いから仕方がないのだが、前触れもなく突然の別れだった。書きかけの原稿も、今まで送った原稿も、採用されたときの編集者さんからのコメントも、ZINEの原稿も消えてしまったみたいだ。まだそれを受け入れられず、どうにかならないかなとぼんやりしてしまう。ついでに半年分の家計簿も消えた。
それは見たくない現実が大半なので、あまり痛くない。USBにもデータがあるにはあるが、MacOSのWordで作成しているから、互換性の問題がある。すぐ手が出せるような安価なパソコンではデータが開けない。せめてPDFにしておけばコンビニで印刷できたのに。後悔や反省点はいくらでもあるのだが、10代の頃からの付き合いなので、とにかくさみしい。大学のレポートから原稿、家計簿に至るまでお世話になったパソコンには感謝してもしきれない。
ただ、壊れたのが自分じゃなくてパソコンで良かった。記憶を頼りにこの原稿を書き直しているように、自分さえ壊れなければなんとかなる。データが消えても自分で考えたことはなくならないし、受け取った言葉も消えない。
でも自分が壊れてしまったら元も子もない。かがみよかがみの定年はすぐだけど、そこから先の人生の方が長い。自分は替えが利かないのだから。他でもない長い付き合いになる自分を労って、生活を整え、やりたいと思ったことをやりきれるような土台を作っていきたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。