自慢する人とされる人。マウントをとられて気づいた「幸せ」の形
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「マウント」という言葉がありますが、最近それについて考えさせられる出来事がありました。
家で両親と食事をしていた際に、ふと職場の話になり 「従業員の中でさ、やたらブランド物ばっかり持っててそれをさり気なく自慢してくる人がいるんだよね」 と私がぼそりと言ったところ、 「ああ、マウントってやつね」 と父親に返されたのです。
私はマウントとは持ち物や置かれている状況が自分は相手より上なんだ、満たされているのだという事を周囲にアピールする行為だと思っていたのですが、その他に「マウントポジション」という意味合いも含まれているのです。
父親曰く、格闘技などの試合で仰向けになった相手の上に馬乗りになり、ほとんど一方的にボコボコに殴りつける、といった行為がマウントポジションにあたるらしく。
その話を聞いていてああ、確かに人からマウントを取られる時ってこっちが相手の言動をどう思おうがお構い無しに自慢、威嚇をされる拒否権がない状態だから、最早一方的に殴られているような物なのかも……と変に納得してしまいました。
私も実際にされた時そうでしたが、一度マウント行為が始まるとこちらは中々逃れる事ができず、凄いですね、とか羨ましいですといったようなありきたりで相手の自尊心を満たすような言葉をつらつらと並べ立てるしか成す術がないんですよね。
そして、結局そういった行為って自分が恐れている目上の人には中々できないと思うので、結局ターゲットになりやすいのは年下で何か言ってもはねつけずにこちらを立ててくれそうな私のような立場が弱い人間になってしまうのだろうなと思いました。
そもそも、人ってどうしてあんなにブランド物とか、高級時計といったそういう高価なものが好きなのでしょうか。
正直、お恥ずかしながら私の職場は手取りも薄給ですし、先述したマウントを取ってきた人もとてもそこまで裕福そうには見えないので、そういう高い物を身につけていてもきっと無理してるんだろうな……という考えの方が先走り、とても羨ましいという感覚にはならないのです。
そういう人が高価な物を持っていても現代はフリマサイトやアウトレット、はたまた偽物までも精巧に作られている物が巷に蔓延っているような時代ですから、きっとそういう中から良さげな品を頑張って見繕ったのかなぁという邪な思考に陥ってしまう事も少なくありません。
それに、高いものって見た目は良くて様にはなるのかもしれないけれど、大体使い勝手が悪いですよね。
ハイブランドのバッグはデザインは良くても鞄自体が重く長時間持つには適さない割に中身はほとんど入らないですし、時計も10,000円くらい出せば今は使いやすく質の良い物をいくらでも手に入れる事ができます。
頑張った自分へのたまのご褒美、となればまだ分かるのですが、無理してでもしょっちゅうそういった高価な物ばかりを買っている人は最早人に対してマウントを取るためだけにそういった購買を繰り返しているのかな?とも思ってしまいます。
個人的に私は飽き性なので、例えば鞄を買う、という事になっても何十万もする高価な物を選びそれを一生使い続ける、なんて事は到底できません。
なぜなら、途中で飽きてしまうから。それであれば比較的安価だけれど性能はそこそこ、な物を選びその都度また別の気になった物があれば買い足す、といった選択の方がよっぽど有意義であると感じてしまいます。
もっと言えば、一つの大きな物にお金を使うくらいならばもっとちまちまとした日常の外食代やお酒、つまみといった物に長くお金を使い続けたいなぁとさえ思ってしまうのです。
これは、もうその人それぞれの価値観の違いなのでブランドを買う人の事を強く否定する訳ではありませんが、マウントの話もさることながら、自分の外見を取り繕い、周囲にアピールするためだけの理由で購入する物のランクを選ぶ人は、きっと現代のこの世の中には沢山存在するでしょう。
しかし、それを行って自尊心を満たす事ができるのですから、それは本人たちにとってはある意味幸せな事なのかもしれませんね。
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