お金と私は推しとオタクみたいな関係性。見向きされる日はいつ?

“お金との距離感”というテーマを見た時、自然とお金と自分との距離がとても離れている図を想像してしまった。
私はずっとお金に距離を取られている。
恋愛でいえば、一目惚れからの完全な片想い。
いや、これは推しとオタクの関係で表すほうがいいかもしれない。
いつだってお金は大スターであり、私は認知をもらうどころかライブのチケットすら当たらない。
せいぜいSNSで「認知欲しいぃぃ」などと、ライブにも行けないくせにあまりにも非現実的なことを呟いてる程度のオタクだ。
特別貧乏な家庭、というわけでもなかった。
衣食住は整えられていたし、大学まで卒業することもできている。
ただ、決して裕福な家庭ではなかった。
両親からお小遣いを貰ったことはなく、欲しいものがあれば祖父母から貰うお年玉で購入する事になっていた。
しかしその貴重すぎるお金を何を買うのが正しいかわからず、当時はあまり使うことも無く貯金をしていた。
周りの子がおもちゃ、ゲーム、お菓子やジュースなどを買っているのを、羨ましいのかも分からない気持ちで眺めていた。
そんなちびっ子時代を過ごしていたが、中学生になるとハンドメイドにハマる。
100円ショップで道具を買ってきては、縫い物や編み物、粘土細工やアクセサリーの制作などをしていた。
完成品が欲しいわけではなく、作ると満足してしまうため、お金のためにも作ったものはフリマアプリで売っていた。
高校生になるとそれに加えポイ活を始めた。
学校から数分の距離に住んでいたため、バイト禁止の校則を破れるわけがなかったからだ。
フリマアプリとポイ活。
決して稼いでいるなんて言える額じゃなかったが、ハンドメイドという趣味を続けられる程度ではあった。
大学生。
お年玉貯金は自動車学校と大学受験の費用で底を尽き、貯金は無い。
実家を出て学内の寮に住み、学費と寮費は両親が払ってくれている状態。
奨学金が毎月5万円。
入学前にパソコンやら教科書やらで既にマイナス。
寮に備え付けの家具はなく、まずは寝袋ひとつで挑んだが早々に断念し、ベッドと棚を購入。
この時点でとてもマイナス。
コロナの流行と同時の入学。
寮生はアルバイトを控えるよう言われていた。それを律儀にも守っていた私の収入はゼロ。
しかし生活費はどうしても必要。
当たり前のようにとてもとてもマイナス。
私はこの頃、クレジットカードという魔法のカードの、分割払いという魔法でなんとか生き延びていた(自粛明けにめちゃくちゃ働いた)。
ここまでで既にお分かりだろう。私の推しが見向きもしてくれないことを。
親に頼ればと思う方も多いだろうが、4人きょうだいの2番目。下の子たちのこともある。
加えて母は私が高校3年生の頃に仕事をやめ、その後病気が発覚していた。
裕福じゃない家庭が更に危うくなっている状態で、親に頼ろうとは思えなかった。
そして現在。
会社員生活を経て心を病み、フリーター生活を送っている。
今も、カードの魔法を使うことで生き延びている月も多い。
そんな生活でお金は大丈夫なのかという心配をされる度、意外となんとかなっているんだよなと不思議に思う。
もちろんこの先このままのつもりもなく、いつか一度だけでも推しからファンサを頂きたいという気持ちはある。
二十数年推しているが、まだまだ古参なんて言えるレベルでもない。古参になったからと言って、必ずしも認知を貰えるわけでもない。
なんて分かってはいても、新参者がファンサどころか認知を貰っていて、あぁ羨ましいなぁと思うこともよくあるし、自分と比べて落ち込むこともある。
どうすれば自分もあんなふうに、と毎日のように考えるけれど、働く以外に思いつかない。
でも毎日仕事に行きたくないと思っていた時よりも、今が何倍も楽しいからしばらくはこれでいい。
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