大学4年生。それは人生の転換期。ほとんどの人にとって人生最後の学生生活になるはずだし、卒業をかけたゼミでの卒論発表もある。

そしてなんといっても「就職活動」。気になる企業の情報を自分で集め、自分の意志でエントリーし、面接では自分のアピールポイントについて的確に説明する。そんな「自分の意志」が重要視されているこの就職活動は、現代の若者にとっては気の進まないこと極まりないだろう。

私もその1人である。まだ学生なのに、なんで社会人になってやりたいことを今考えなくてはならないのだろうか。就職活動において必要な筆記試験の勉強や面接の対策は入社後役立つとはとても思えない。そんなことをなぜ今やらなくてはならないのだろうか。

そんな悶々とした思いが募るばかりでなかなか就職活動に身が入らないのが私の現状だ。しかし、人生の転換期はこれが初めてではない。特に学生時代には何度かあった。では過去を振り返ってみよう。

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まず、私の人生の中で初めてと言える転換期は高校受験である。それまでずっと地元の公立の学校に通い、なんの悩みもなく学生生活を送っていた。当時私は吹奏楽部に所属し、学業そっちのけで部活動に没頭していた。そして中学3年生の夏、志望校すら決めずにいた私にしびれを切らした母が当時通っていた塾の先生に相談し、いくつか高校を紹介してもらった。

その中に、「昨年度新設:論理的思考力を身に着ける教育」といったようなスローガンを掲げた高校があった。「論理的思考力ってなんだかかっこいい!」と思い、また部活動にも力を入れている学校であったためその場で受験を決意した。幸い、部活動を頑張っていたおかげか推薦という形でその学校へ入学することができた。

次の転換期は大学受験である。あいかわらず中学生時代のように部活動に没頭し進学先について考えず、勉強にも身が入らなかった私は、担任の先生に推薦入試を進められた。

当時私は世界史の授業が大好きで、特にさまざまな思想家の考えを知ることに喜びを感じていた。そのことを伝えると、哲学を学ぶことのできる大学を紹介してもらい、推薦にて入学した。

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このように、私は完全に自分の意志で進路を決めたことがなく、行き当たりばったりでここまできてしまった。そのため自分で道を切り開いていかなくてはならない就職活動に強い抵抗感や苦手意識を持っているのだ。

そんな悩みを抱えながら、私は大学のキャリアセンターに相談に行った。そこで言われた言葉は、「本当にそう?」衝撃だった。

私は本当に、自分の意志を持ったことがないのだろうか。高校受験の時、論理的思考力を掲げるあの学校がいいと思った。大学受験の時、哲学が学べるあの大学がいいと思った。これは紛れもない私の「意志」だ。

確かに、入学するまでにいろいろな人の助けを借りたしそれには感謝するべきではあるが、その人脈だって自分で得た宝だ。私は自分が知らず知らずのうちに意志を表していたことを見逃していたのだ。

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昨今の若者は、意志がないと言われる。タイパやコスパばかりを気にして本質を見ないと言われる。それは間違いだと私は思う。

意志が自分に呼びかける声が小さいだけなのだ。それに気が付き拾い上げることが重要だ。

私の2025年の宣言は、自分の「小さな声」を見逃さない、とする。