二〇二四年四月、スーツなんて初めて着た。被服学科の入学式とはいえ、奇抜な恰好の新入生はおらず、かといってキメて来ていないわけでもなかった。派手髪、巻き髪、すごく長いネイル。可愛いとは思ったけど、それよりも、圧倒されたという感覚に近かった。

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私は昔から太っているし垢抜けてもいないから、綺麗な同世代に囲まれる恐怖には慣れているはずだった。それでも綺麗な人はなんだか怖い。センスがないとみなされたら、きっとなめられてしまう。そうして、おしゃれでいなくてはと常に気を張るようになり、あまり好みではないけれどとりあえず流行を追ってみたり、古着屋によってみたり、いわば迷走というやつをしていた。結局、よく一緒にいる友達と同じ系統では芋っぽさが露呈してしまうことに気づいたため、シンプルなモノトーンスタイルに落ち着くこととなった。

「あの子超スタイルいい!」「あの美人な先輩アイドルやっているらしいよ」あれ。まてまて。被服学科というやつはしゃれた服以外も評価基準なのか。私はひどく焦った。今思えば、誰も他人を評価していたわけではないし、単純にイマドキ女子の日常会話であったわけだが、当時の私には「スタイルは良くないといけない」「顔は綺麗でないといけない」そう遠回しに言われているのではないかと考えてしまった。

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それからは、めてダイエットをして、メイクも研究して、誰のための努力かわからないようなことばかりしていた。追い込まれていたわけではなかったけど、大して楽しくもなかった。そうして一〇代最後の夏を終えてしまったのだった。

夕方、トキメキを感じない地下鉄で違和感がした。あの女の人だ。あの人の持つ取っ手付きの箱から、無機質なホーム中の皆を振り向かせるいい香りがする。やはり。ミスタードーナツだ。

私はドーナツが大好きである。偏愛だと言われてしまう自覚があるほどに、私はなによりドーナツを愛している。そんなことを忘れてしまうダイエットはなんて恐ろしいのだろう。趣味でもない新品の銀色の鞄をぎゅっと握りしめた。その右手からは石油の匂いがする。本来私が握りしめたいのはミスタードーナツのお持ち帰り用箱なのではないのか。自問したが返事は返ってこない。いや、まるで気持ちが変わっていたのだ。

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駅を降りて私が向かうはミスタードーナツ。ここから私の人生第二章の始まりである。大好きなドーナツを頬張りながら思うことは、「なんて幸せ」この一言に尽きる。ドーナツは味も好きだし、なにより見た目が可愛い。あの子のネイルより、あの先輩の顔より、ずっとずっとドーナツのビジュアルが愛おしくてたまらない。いつの間にかダイエットなんて気にしなくなった。ドーナツ分の脂肪なら誇らしいではないか。

そしてなにより無彩色な私が、チョコの気分だからと言って茶色のムートンブーツを履いたり、ラズベリー味を食べに行くから真っ赤のダッフルを着たりするようになった。本当は着たかった服があることを自覚したのも、着たい服を着られるようになったのも、大好きなドーナツがきっかけなのだ。

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驚くことに、体型を隠せていなかったとしても、友達は『私の思う可愛いファッション』をすごく褒めてくれる。被服学科というやつは自分らしさを受け入れてくれるのだと今更ながら気がついた。それにしても、ファッションのためにドーナツを禁止していたなんてと思うと、少し笑いが込み上げてくる。今では、ドーナツが私を一番可愛くしてくれるのだから。