いつも女の子はピンク、男の子は青。なぜか幼少期の頃には、そうした概念を身近な大人から押し付けられていたように思う。

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ピンクが好きな私にとっては苦痛ではないが、青とか緑が好きな女の子には、「ピンク=女の子」というイメージが、女の子らしくしなさい、と煽られているように思うかもしれない。性別と色は切っても切り離されないような感じ。それじゃあ、ピンクって女の子しか触れられない限定色なのだろうか。いや、そんなことない。そんな世の中に生きるピンクは、私が好きなピンクじゃないのだ。

ピンクのアイテムや洋服を着飾るたびに、私は背伸びしたくなるような心地よさに包まれていく。大人になった今でも、ピンクのリボンとかフリルが心躍らせてくれる。令和の今、そうした趣味を公にすると、「量産型女子なだけじゃん」という声も少なくはない。それでも、私がピンクを推している。

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先日、とある試験会場で私のようにピンクのマスクを着けて、ミニスカート(リクルートスーツだけど)に白色のキルティングの上着を羽織った女性がいた。年頃はおそらく20代前半だった。思わず私は、鏡を見ているような感覚だった。ああ、自分ももっとピンクとガーリーさを遠慮せずにとことん貫いたとしたら、こんな感じなのかなあ、と。でも、なんだか人の視線が気になって落ち着かなくない?いや、見ている側のほうが落ち着かないのかもしれない。このとき、ピンクは一瞬、近寄りがたい独特のオーラを漂わせているカラーなのだろうか。その一瞬の観察で、私はピンクが人に与えるイメージと影響について必死に考えるようになっていった。よくわからないけれど、気づけば吸い込まれていくような感覚だった。ただその女性がピンクのマスクとミニスカートを身に着けているというだけなのに、同じ場所にいる他の人よりも目立っているように見えたのだ。

この出来事は、私自身が狂ったようにピンクを推す性格だからということもあるが、それにしてもピンクはやはり女性らしさを引き出すカラーだと思い知らされた。色ひとつで、こんなにも人の印象を変えると同時に、薄さと濃さが滲みでるものなのか。私はひとり、衝撃を受けていた。ピンクの衝撃、というとなんだか面白おかしくなるが、ピンクには他人を引き付ける優しさのなかに、好きなものを身に纏って生きる、真の強さが芽生えているようだった。

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一つの色が与えるイメージと、性を表現するための色。それは、子供の頃と大人になった今でも、どうしても焼き付いてしまうものである。

そんな世のイメージを踏まえたうえで、いまここで私が宣言できることは、ピンクが好きで仕方ないということだ。それと、色で人を見てしまうことは人間の本能と等しく、身に纏う色によって、人と人との距離さえも縮めたり、離れたりもする。

このことに深い意味はないとしても、この先好きな色と付き合うということは、目の前にいる人に与える印象を想像する価値を見出すことだと私は思う。ピンクを愛する今、私はとても幸せである。好きな色を好きだと言える今の世の中、悪いことばかりではない。平和で自由な世界の象徴こそが、自分の色を選べるということ。

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ピンクが人に与える印象を想像することに少し戸惑いを隠せなかったりするけれど、この先もピンクを抱きしめて生きていきたいと私は思う。もしこの世からピンクという色が消えたとしたら、私は赤と白を組み合わせて絵具でピンクを作り出すように、自分が好きだと思うピンクを作っていきたい。好きだと思う色を、好きなように表現する。「色」という視覚がある限り、私たち人間は自由自在に違いないから。

そうしたら、性別や年齢にとらわれることなく、誰もが好きな色を好きでいられるはず。