拝啓、私をいじめた人へ、ありがとう。苦しみと痛みは耐え抜く強さに

中学時代、私はソフトテニス部でひどいいじめを受けていた。その時の感情は、苦しみと絶望でいっぱいだったが、今振り返れば感謝の気持ちで溢れている。あの経験が私に与えたものを、今伝えたいと思う。
私が所属していたソフトテニス部はいじめの温床だった。いじめの中心にされることが日常だった。Kちゃんを中心としたグループでは、毎日のように私を無視し、陰口を叩き、ありもしない噂を広めた。特に忘れられないのは、中学三年生五月、修学旅行を控えた一週間前、いつもは悪口や無視が日常茶飯事だったが、いじめはさらにエスカレートしていった。昼休み、Kちゃんがわざわざ私の教室に来て、衝撃的な話を耳にした。
「修学旅行の部屋、一緒なんでしょ?○○(私)のこといじめていいよ」
そう、Kちゃんが私のクラスのボス的存在の女の子に、私をいじめるように指示していたのだ。その日の放課後にKちゃん取り巻きの女の子が、その話を教えてくれた時の衝撃は今でも忘れられない。どうしてそこまでして私のことをいじめたいのか。頭が真っ白になると同時に、身体の血の気が一気に引いた。立っていられなくなった。気が付くと頬を涙が伝っていた。
しかし、その話をしてくれた子は、最後にこう言った。「その時止められなくてごめんね。私も怖かったの。でも、ボス的存在の子は『自分が何もされてないのにいじめるのはおかしい』と言ってたよ」
その言葉を聞いて、私は少しだけ救われた気がした。取り巻きの人間も善悪の心を持ち合わせていて安心した。そして、修学旅行当日。緊張しながら迎えた旅行の3日間は、何事もなく過ぎていった。
「なぜ私が?」という疑問と長い時間向き合った。なにか自分に非があるのかもしれない、と思い振り返ると、特別嫌われるようなことはしていない。しかし、Kちゃんとは容姿、学力、部活の面において私よりもちょっと下であった。原因がわからないからこそ、対処のしようがなかった。自分は生きていても意味がないんだ、こんなにいじめられて苦しい思いするなら死んだほうがましだ、と考え、自己否定が止まらなくなった。部活を辞めるのは簡単だった。
いじめが原因で4人既に辞めていたし、その波に乗れば自分も辞めれた。辞めたいと何十回、何百回思ったかわからない。でも辞めたら、“逃げ”だと思って、負けるのは嫌だという感情だけでなんとか最後まで続けることが出来た。
今思えば、あの苦しい、苦しい時間は、自分を鍛え、痛みを知る大切さを教えてくれた。いじめを経験していなければ、人の痛み、気持ちにここまで敏感になれなかった。あの経験がなければ今の自分はなかった。
そして、人の気持ちのメカニズムを学びたくなり、大学では心理学を専攻している。何年も経って、当時の状況を客観視できるようになってから初めて「成長させてくれてありがとう」という感情が生まれた。Kちゃんは私に強さを教えてくれた。受験、就活で追い込まれているとき、あの時の苦しみに比べたらましだ、と思えるようになり、困難な状況でも耐え抜く強さを身につけた。
強くなった今、あの時の自分を抱きしめて、こう言ってあげたい。
「この経験が、あなたを強くする。未来のあなたは輝いている」
拝啓
Kちゃん、当時はわからずにただ憎いとだけ思っていたけれど、今は感謝していることに驚いてる。あなたが与えた苦しみと痛みが私を強くしてくれた。
心の底から、本当にありがとう。
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