今まで25年間生きてきた中で、印象に残ったごはんは数えきれないほどにある。そのなかで、私が最も印象に残っているごはんは、父が私のために作ってくれたごはんだ。

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まず初めに私の家族のことについて大まかに説明すると、両親と私、それから、私の2つ上にいる兄で4人。私の家族はというと、よく食べる方だと思う。そして、美味しいものを食べることが好きなので、その目的で国内旅行をすることもある。

特に、生まれがみな海岸沿いであるため、海鮮類を食べることが好き。ちなみに、私の母がいつも家事と私たちの子育てに仕事と頑張っていたが、父は仕事ぐらいで、家のことは習い事の送迎ぐらいであまり家事に協力的ではなかった。

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ここからは、私の印象に残っているごはんについて話す。それは、私が中学校に上がってからのことだ。私の入っていたバレーボール部では、週末の土日、朝から夕方まで一日練習を行う部活動だった。学校の平日にある給食はないため、土日の部活動にみんなよく朝からお弁当を持ってきて練習をする形にな。その期間、私の父は毎日いつもの時間に起きて、自分の分と私の分でお弁当を作ってくれた。

結局、当時は、一生懸命に練習に取り組んでいてもレギュラーには入れず、ベンチでユニフォームを貰っていて精一杯だった。それぐらい、しんどくて、辛い日々だったけど、親が作ってくれたお弁当は、親にとって子どもへの不器用でも伝えられる愛情表現だと思う。

部活動の引退後の高校受験のときも、高校に入学してからも父は毎日私の為にお弁当を作ってくれた。そのお弁当の中のおかずの大半は、冷凍食品だった。だけど、唯一、私がお弁当で大好きだったのが、手作りの玉子焼きだった。普通の出来合いの厚焼き玉子とは違う、手作りにしかない玉子焼きの中の白身のとろみや表面の少し焦げた跡が大好きだった。

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中学校の部活動から帰ってきた後に、「今日の玉子焼き、美味しかったよ」と私が言ったことが、おそらく、父にとっては嬉しかったのかもしれない。それ以来、毎朝同じ時間に起きて、私の為に卵焼きを作ってお弁当に入れてくれた。

そして、私が高校に入ると、本人が余裕のある日だけ、毎日学校まで送り迎えをしてくれた。仕事の休みの日に限らず、仕事に行くついでに早めに送ってくれた日も多かった。高校でもバレーボール部に入った中学校ほどでもなかったため弁当はなかったが、学校の平日はよく作ってくれた。

高校生になると、自分でお弁当を作ってきたり、お昼の購買にダッシュで向かったりする生徒がいるなか、私は、親に毎日お弁当作ってもらっていたので、お昼が食べれなくて困った日がなかった。それだけに限らず、いつも夕飯も私のために考えてくれた。「今日、何食べたい?」といつも聞いてくれた。手の込んだ料理も仕事のあとでも、すぐに作ってくれた。

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大学生になって上京すると、1人暮らしで講義の合間に食堂で出来合いの500円弁当やコンビニのおにぎりで済ませるようになった。バイトや、大学に卒業した後の仕事で、1日仕事のときもあの頃毎日作ってくれた卵焼きが恋しくなった。

最近、年末年始に実家に帰省してきた際、手巻き寿司を食べるために久しぶりに父が卵焼きを作ってくれた。私の大好きな卵焼きが、私にとってのふるさとの味なのかもしれない。