見た目のコンプレックス。
中身のコンプレックス。
学歴、家庭環境、親、兄弟、人によっては様々なコンプレックスがあると思う。

私はコンプレックスはその人なりに向き合う為の必要なものだと今となっては思えるようになったが、生きる上でとても大きな壁になったり、邪魔をしてきたり、時にはすごい生きづらいものになることもあるのだ。

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私はかなりコンプレックスが多い方だと思う。

生きてきた環境も学歴もあれば、容姿の中でも体型や顔、顔のこの部分、などという細かいものもあれば、性格の中のこういう部分、そういうものもある。言ってしまえば全て個性なのだ。コンプレックス=悪い という訳では無いのだ。

だがコンプレックスを気にして着たい服を着れなかったり、思うように人と話せなかったりする事もある。

私がこのコンプレックスたちと上手く生きれるように変わってきたのは、いくつかの経験と努力による自分自身の変化のお陰だ。

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5年前くらいの私はかなりこのコンプレックスたちに悩まされ、どう生きていたらいいのか分からなくなってしまい精神科に通っていた。

コンプレックスを筆頭に、ネガティブにネガティブに陥ってしまっていたのだ。

その頃は「もうこの人生どうでもいいや」「どうにでもなれ」と思っていた。

でも心の奥底では「どうにかなりたい」「このままじゃだめだ」そういう気持ちを捨てきれずに居た。

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気持ちに波があったので少し元気が出たタイミングでやったことの無いことに挑戦してみたり、色んな挑戦をする、だが波を乗り越えられず挑戦したはいいものの継続できず逃げてしまう、そんな日々を送っていた。

失敗を重ねるごとにこのままじゃだめだ、という気持ちは強まっていく一方だった。

挑戦したことを継続できない理由や直ぐに逃げてしまう原因、そもそものコンプレックスの原因や対処法、沢山考えたり対策を考えたりもした。時には無理をしてでも自分に厳しくする事も大切だと身をもって感じた。

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冒頭にも綴ったが、私はコンプレックスが多く自分という人間そのものに自信が無かったので、まずは自分を好きになるための努力に徹した。容姿を磨いたり自分から見て恥のない自分で生きようと心がけた。やりたい事には全て挑戦し色んな経験を積んだ。そうする事でゼロだった自信が少し満たされたのだ。

私はゼロか百かのような人間だったので、一気に自信が満たされ無ければ無理だと思っていた。

コツコツでいいから、すぐに成果が出なくても少しずつ自分を好きになり、コンプレックスを可愛いとまで思える自分になりたいと思った。

そこからは落ち込むことはもちろんあっても塞ぎ込まずに、否定せずに、そういう自分を受け入れることにした。

自分を認めたり褒めたり1番近くで切磋琢磨し合える存在は自分自身なのだと身をもって感じたのだ。自分が自分を否定して傷つけていたらどうしようも無い未来しか待っていない気がした。

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私は成長がしたい。

常にその気持ちは持っていて、本音である。

成長して知らない景色を見て知っていくにつれ、迷った時や困った時、どうしようもなくなった時に自分を助ける選択肢が増えると思う。
そうして私は自分が自分らしく在れる生き方を日々模索中なのである。

強く、強く、そこに立っていたい。
そして過去の自分と似たような悩み、コンプレックスを持った人に大丈夫、大丈夫だよ。という言葉をかけてあげたい。

自分を1番近くで救えるのも守れるのも自分なのである。