外の世界を見せてくれた、唯一親友と呼べる存在だったあの子へ

歌の歌詞などで古今東西飽きるほどに聞いた、知識として知っていたことの一つに、「人は失ってからその宝物に気づく」ということがある。使い古されすぎて擦り切れてボロボロなのに、いつの時代も、そしてこれからも、このフレーズは人々の心を打ち続けるのだろう。
幼稚園から始まり、小、中学校と続いたわたしの日本での生活で、わたしははっきりと周囲から浮いていた。今考え直しても原因はわからない。一つ違いの妹たちの存在のおかげで、家の外で敢えて友達を作る必要性に駆られていなかったからだろうか。読書という趣味のおかげで、一人でいることが苦でなかったからだろうか。とにかく、わたしは人間関係を構築するという作業が壊滅的に苦手だった。
特にいまだに習得できていない技術は、空気を読む、これに尽きる。は?空気になんか書いてあるの?みんなはどうやって読めるようになったの?その技術の存在自体に気が付いたのがまだ数年前、それを自分が持っていないと気が付いたのなんてつい最近だ。…逆に聞かれるかもしれない。どうして日本で暮らせていたの?知らないよ!
こんな子供、周囲の大人はおろかクラスメートたちにとってもどう接していいのかわからない、厄介すぎる存在だったに違いない。大量に並んだメトロノームが必死にお互いに合わせながらチクタク鳴っている中で、一つだけテンポも音量も外れた、しかも自分ではあっていないことに気が付きもしない個体。想像しただけでぞっとするが、それがわたしだった。もっと怖いことに、多分過去形にはできていない。
救いだったのは、その独特なリズムを面白がってくれる人に割と頻繁に出会えていたこと。そして、そんな迷惑系メトロノームの隣で違うリズムを奏で続けてくれたもう一つのメトロノームがあったことだ。
出会った日は正確には覚えていない。多分小学一年生だった年のいつか、なぜならクラスが同じだったから。二年生でも一緒で、いつの間にか二人で過ごす時間が多くなっていた。背の順で前から二番目、持ち物は淡い水色かグレー、丸っこいスタンプみたいな手書きの文字は、お母さんの字とそっくり。さらさらな黒髪を前髪をおろしたポニーテールにするのがとても似合う、小動物タイプの女の子。中身はそんなに可憐でも華奢でもないことは、割とすぐに気が付いた。休み時間は全部本に費やしたいわたしを校庭に引っ張っていっては、鉄棒、ドッジボール、うんていと体を動かしたがる。にこにこ話しながらぽろりと歯に衣着せない言葉がこぼれる。気に入らない男子を蹴とばす。何より、人当たりはいいけど心を開くまでの時間はわたし以上にかかる。
小中学校と共に過ごす中で、何回わたしに苛立ったんだろう。何回わたしを嫌いになっただろう。わたしは、何回あの子を嫌いになっただろう。当たり前のように、ずっと完璧な友達関係を築いてきた訳じゃない。お互い人間だ。どうしても分かり合えない部分なんて挙げだしたらきりがない。
それでも、電車ですら乗り物酔いがひどいわたしを気遣って、満員電車で素早く座席に座らせてくれた。クラスメートと口喧嘩になって泣くわたしと一緒に泣いてくれた。自分の好きなグループがカフェコラボするときの数合わせとして選んでくれた…ドリンクおいしかったよ。
あの時も、この時も、あの小さな手でわたしを自分の世界から外へ、外へと連れ出していってくれたね。握った手の温かさを久しぶりに思い出して目が潤んだ。
海外への転校が決まった中学二年生の二月、急に新学期からいなくなることを話した時のあの子の表情はあまり覚えていない。わたしにとっても急で、正直訳が分からない状況だった。二年生最後にクラスのみんなが計画してくれたお別れ会で、泣きながら抱き合ったあの瞬間は今でも、そしてこれからも大切な思い出だ。あの丸っこい字で書いてくれたお手紙は、今でもわたしを励ましてくれる。
赤道を挟んだ地球の反対側で暮らしている以上、どうしても疎遠になるのは仕方がないことなのかもしれない。新しい環境の中で、たくさんの出会いと別れを経て、友達もできた、今のわたしとして改めて伝えたい。
大好き!
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