弁当箱の蓋を開けると、そこには市松模様が広がっていた。白いご飯の上に海苔と梅干しで市松模様が描かれているのだった。私はこの弁当が大好きだ。

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幼稚園の頃から、運動会や発表会などの「ここぞ!」というときの弁当はいつもこれだった。中学生までは給食があり弁当の頻度は少なかったのだが、高校生になり毎日弁当を持っていくようになってからは、この市松模様の「ここぞ弁当」はテストや模試の日に現れた。

わざわざリクエストしたことはないが、母も私がこの弁当が大好きだと言うことを知っていて、私が特別頑張ることがある日に合わせて作ってくれていたのだと思う。通学バッグにコンパクトに収まるように細長い弁当箱を使っていた私。そこに、小さく正方形に切った海苔と梅干しの果肉を交互に並べる母。両親は共働きで、母は私よりも早く家を出る日もあった。それでもこの手間のかかる弁当を作ってくれていた母の愛情には計り知れないものがある。

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中学生の時に診断された私の病気は、特に高校生時代はとても不安定だった。そのために遅刻・早退・欠席は日常茶飯事になっていた。私の食も細くなり、お昼ご飯はおにぎりひとつだけという日がほとんど。思い通りにならない体調はすっかり私の心をも蝕み、毎日のように泣いてばかりいた。体調的にも精神的にも学校に行くのがつらくなった。それでも、絶対通いたかった第一志望の高校。「今日行ったら明日は休んでもいいから、もう少しだけ頑張ろう」と毎日毎日自分に言い聞かせ、身体を引きずるようにして学校に行っていた。しかし次第に自分をだますのも限界になり、「もういいかな」、「学校やめちゃおうかな」という気持ちが強くなり始めた。

ある夜、「明日学校に行ったらさ」と母に切り出した。しかし、その先は言葉にならなかった。「もう学校やめちゃいたいんだよね」と声に出してしまえば、涙が止まらなくなってしまう気がした。私の言葉の続きを待つ母に「なんでもない」と笑ってベッドに潜り込んだ。

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次の日の朝起きると、私の通学バッグにはすでに今日のお弁当が入っていた。「今日で最後にしよう。だから頑張ろう」と心の中で唱え、学校へ向かった。お昼の時間になりご飯を食べようとすると、バッグに入っていたのはいつものおにぎりではなかった。

手のひらに収まるほどの小さなお弁当箱。蓋を開けると懐かしい市松模様が目に飛び込んできた。息が詰まったかのように声が出なかった。小さい頃から「ここぞ」というときに出てきた弁当が今、目の前にある。一口一口食べる度に涙が出そうになった。教室で泣くわけにはいかない、と目の辺りに力を入れっぱなしにしていたので、かなり変な顔で弁当を食べていたのではないかと思う。

母が今日、この弁当を持たせてくれたのはなぜだろう。母は、私が無理をしてまで学校へ行かせようとはしなかった。だから、この弁当も「もっと頑張りなさいよ」という意味ではなかったと思う。私が学校を続けるかやめるか。もっと大きく言えば、この先の人生をどうするか。そのように悩んでいる私に気づいて、私がどのような選択をしても母は変わらず味方でいてくれるということを、「ここぞ弁当」で伝えてくれたのだと思っている。私にとっての「ここぞ弁当」は、母にとっての「ここぞ弁当」でもあったのだ。

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社会人になり、すっかり弁当とは無縁の生活を送っている。20年も私を支えた「ここぞ弁当」を、いつか母に作る機会はないかとタイミングを窺っている私である。