母は料理が好きで、上手だ。と思っていた。いつでもお惣菜よりも手作りの料理を作り、温かい状態で私たちに出来立てを食べさせてくれていた。肉・魚・野菜(育ち盛りの私はこれを外れ日と思っていた)バランスよく献立を作り食べさせてくれていた。

当たり前のようにそうしてくれていたから、母は料理好きなのだと思っていたが、大人になり、母は体にむち打ち仕事終わりに台所に立っていてくれ、毎回料理本や、自身の手書きのメモをもとに毎日料理を作っていたのだと知った。

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大学生になり、「実家に帰る」と母に伝えると、「その日は父が飲み会で不在になる」と告げられた。別にそんなことよくある話だと思ったが、よく考えれば私が実家にいた約18年間、父不在の夕飯は数えるほどしかなかったと気づいた。実家に帰ると、初めて実家で目にする料理「ミネストローネ」が食卓に出てきたのだ。ミネストローネは私の好きな食べ物であるが、それは実家を出て友達とおしゃれな外食をする中で好物になったもので、実家とミネストローネは全くむすびつかず、見慣れた食卓に違和感すら感じる並びであった。母は、「今日はお父さんがいないから」と言った。

父はトマトやセロリが苦手で、とにかくごはんやお酒に合うものを好んだ。だからこそミネストローネが食卓に並ぶことを良く思わないのは想像に難くない。母はそんな父に配慮し、その料理を今まで作らなかったのだろう。母は「実は好きなのよね、ミネストローネ。最近お父さんがいない日は作っちゃうの」と笑った。

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父はお酒が大好きだった。それなのに、父が飲み会で夕食に帰ってこないことは本当に数えるほどだった。しかし、末っ子である私が家を出て、父は友人や職場の人と飲みに出る回数が増えたらしい。母に「お父さん、飲み会とか行くんだ」と聞くと母は、「あなたたちがいる間は行かなかった。子育てがあったから」と教えてくれた。大げさかもしれないけど、愛だなと思った。

家族を思い外飲みに出なかった父と、その父を思い、父の好むものを作り続けた母。子育てを終え、それぞれが少しずつ許容の範囲内で羽を伸ばし、母はその隙間でちょっとした欲を満たす。無理のない家族愛、夫婦愛の形であると、私はその日の食卓に並ぶミネストローネの奥に感じた。

実家で初めて食べるミネストローネは、本格的とはいかないが、実家で初めて食べる料理なのに不思議と家庭の味だった。あれが私にとってのミネストローネであり、今までも実家で食べてきたような不思議な感覚だった。

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私が仮に家庭を持ったとして、父のような母のようなことができるだろうか。料理一つかもしれないが、それを二十数年続けるのはやはり情があってこそであることは間違いがない。その裏には、家族を思い毎晩きちんと家に帰ってくる父の姿がある。なんともほほえましく温かく、そしてくすぐったい気持ちになるのである。

「ミネストローネ」を見ると、私はこのエピソードを思い出し、思わずほっこりとしてしまうから、今ではどこであってもミネストローネと対面するとくすぐったく嬉しい気持ちになる。そして私も母親譲りなのか、セロリ多めのミネストローネが大好きだ。今も「実家に帰る」と言い、母から「父は不在」という連絡が来ると少し寂しい気持ちもあるが、母が作ってくれた料理がミネストローネだと、なんとも嬉しいような、複雑な気持ちになり、父に申し訳ないなと思いながらもやっぱり嬉しい気持ちになってしまうのである。