課長に奪われた「名字の半分」。悔しさを飲み込んではいけなかった

生まれ育ったのは田舎の観光地。大きな町ではないものの、海外からも観光客がたくさん来てくれる場所。自然と初めてのバイトは、観光客向けに展開された抹茶を使った日本らしいスイーツのお店ですることになった。
高校時代英語科にいた私は、英語を仕事で使える人を見つけるのが難しいその田舎町で英語が話せる人材として雇われた。採用の際にその後私の上司となった課長に「その年で堂々と英語が話せていいですね。期待しています」と言ってもらい初めてのバイトにワクワクした。
でもその期待は見事に打ち砕かれた。そのバイト先で私は課長に名字の半分を奪われたからだ。
私は国際結婚した両親を持ち、父の外国姓と母の日本姓を組み合わせた名字を持っている。戸籍謄本などの正式な書類にも必ずその2つが組み合わされた姓がひとつの姓として登録されている。
しかし無事採用されてはじめて受け取った制服用のネームタグには母の日本姓の部分しか書かれていなかった。タイムカードにも父の外国姓は見当たらなかった。全ての書類から父の外国姓の部分が消えていた。
ゾッとした。人の名字を許可なく切り刻んで分解していいわけがないのに、勝手に名字の一部を奪われた。でも仕方がないのかと理由も聞かずにその心の叫びをしまい込んだ。
それに対して何も言えなかった自分に今でも腹が立つ。確かに私は高校を出たばかりの新人で、ただのバイトで、当時40歳代くらいであっただろう課長に言い返すほどの力を持っていなかったし、初めてのバイトでクビになりたくもなかった。
でもその違和感を無視して、自分が感じた悔しさをなかったことにしたツケはすぐに自分にきた。
ある日バイト先の店舗で電話対応をした際に、テンプレート通り「お電話ありがとうございます。〇〇が承ります」と自分の正式な名字で電話に出た。電話の相手は課長だった。
そして課長は自分の名前すら名乗らず第一声「違う」と私に叫んだ。何が違うのか私には分からなかった。思わず黙ってしまった私に課長は私の日本姓の部分だけを使いなさいと指導した。「お客様があなたの正式な名字を聞いたら怖がるかもしれないでしょ」と。
わけがわからなかった。私の名前を聞いたら怖がる人がいるかもしれないから自分の正式な名前を名乗るなという指示は納得できるものではなかった。最初に感じた違和感を、自分の本当の思いを、飲み込んではいけなかったのだとそこで気がついた。
でももう遅かった。私の名字の半分はもうすでになかったことになっていた。結局私は最後まで何も言えず半分だけの名字で数ヶ月働いた。その後ずっと自分の半分だけの名字を名乗るたびに悔しかったのに自分の立場を気にして何も言えなかった。
結局そのバイトは大学進学と同時に予定通り退職した。あれから5年以上経っているのにこの出来事は今でも心のどこかにわだかまりを残している。それは当時の何も言えなかった弱かった自分に対して。違和感を見過ごした自分に対して。仕方がないと諦めた自分に対して。
でもあれから5年経ち、私もさまざまな経験をした。今なら立場が下だからって全てを飲み込まなければならないわけではないことを私は知っている。この事実を知っているということが私の変化であり成長だ。だから今度似たようなことがあったらそれがたとえ上司相手だろうと、それがたとえ解雇につながるかもしれなくても絶対に声を上げるだろう。
年齢を重ねて知識を増やし経験を得た今だからこそ言える。
「私の名字は父の姓と母の姓の組み合わせで、それを分解したり切り離したりすることはできないんですよ」と。「だから私の正式な名字で私のことを呼んでくださいね」と。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。