自分の五感を好きなように思う存分使える「一人」の時間が私は好きだ

小説が原作の『六人の嘘つきな大学生』をいつものTOHOシネマズで観ようと、スマホでチケットの購入画面を操作していると、いつのまにか当たり前のように一人で映画を観に行くようになっているなとふと思った。
「誰かと一緒よりも、一人で観に行くほうが気楽で、観たあとの余韻にも思うままに浸れる」という理由を考えることもなく。
一人で映画を観たあとの行動は何パターンかある。
映画の感想を新鮮なうちに残すためにカフェでインスタの投稿をしたり、本屋さんに行って原作をチェックしてみたり。
主題歌やサウンドトラックを聴きながら「あの場面良かったな〜」と思い返したいがために、ひとつ後の電車で帰ったりもする。
誰かと一緒に観たあとにお互いの感想を言い合うのもいいけれど、赤の他人じゃないからか、上映中に隣を少し気にしてしまう。
反対に一人で観ていると、感動する場面では人目を気にせず泣くことができるし、場面ごとに動いた自分の感情とうまく向き合える気がする。
映画鑑賞に限らず、一人だと自分の五感を好きなように思う存分使える気がするから好きだ。
特に一人旅なんかはそうで、美味しいご飯を食べているときも、綺麗な景色を見ているときも、移動中に音楽を聞いているときも、その時の感情を一人きりで楽しめる。
ちょっと寂しくなる瞬間があったとしても、それは一人旅だからこそ感じられる「いい寂しさ」だと思う。
誰かを誘わないと行けない場所ではないなら、予定も合わないかもしれないし、一人で行ってしまおうとなる。
友達が多い子を見ると、羨ましいという憧れとほんの少しの嫉妬が混ざった気持ちになるけれど、それはほんの一瞬でしかない。
友達が少ないほうであることは別に悪いことではないし、ひとりの時間は全く苦でもなく楽しいから、まぁいっかとなる。
友達が少ない(というか、誰かを誘いたいとなったときにパッと真っ先に思いつく子がいない)ことも、「親友」と呼べる子がいないことも、私が自分の時間を楽しむことにはそんなに影響はないのかもしれない。
実際、年齢を重ねるにつれてだんだん会わなくなってくる友達も増える一方で、もっと一人でどこにでも行けるようになりたいという気持ちが大きくなっている。
先日、職場の先輩達に「スノボに行こう」と誘われた。
ウィンタースポーツはしたことがないから不安だったけれど、たまたま休みだったので悩んだ末行くことにした。
このときにも「こういうたまにタイミングよく予定が合う時に数人で遊ぶくらいでいいな」と感じた。
職場の大人数の懇親会にも行かないし、無理に誰かを誘ったりもしない。
複数人との集まりのあとは気疲れしてしまうことも多い自分を理解しているから。
だから私は好んで「一人」を選択しているし、これからもそうしたい。
別に一人は寂しくもないし、充実感を得られるいいことだと思うから。
私には「一人」がちょうどいい。
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