2025年に向けた宣言を考え始めて、2週間以上が経過した気がする。そのくらい、私は目標を設定することに苦手意識を持っている。しかし昨年はなんとか掲げることができたらしく、「2024私の宣言」では〈朝15分の読書時間〉を挙げていた。そういえばそんなことを言った気がする。

……忘れているあたりに「苦手」感が出ているし、忘れているのだからもちろん継続できていない。しばらくの間は時計を確認しつつ朝読書に勤しんでいた気がするが、おそらく何かの拍子でできない日ができたのを機にフェードアウトしてしまったのだろう。

目標にしてしまうと、それが途切れたときに「もういいか……」と諦めの気持ちになってしまいがち。なので改まった形での目標は無理に立てないほうがいいのかもしれない。
後ろ向きな反省に見えるかもしれないが、実のところ、当時よりも目標から解き放たれた今のほうが読書時間は長い。毎日コンスタントではないにせよ、読めるときは1時間くらいになるし(私にしては長い)、能動性も増した。

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きっかけは、秋頃に入手した読書ノートだった。
ノートの構成は「読了日・タイトル・著者・感想・5段階評価」というシンプルなもので、1ページに5冊分書けるようになっている。つまり1ページを文字で埋めるためには5冊読まねばならないのだが、1冊分を書いた段階で私の心に火がついた。いや、ワクワクした、が正しいかもしれない。

早くこのノートをいろんな本でいっぱいにしたい! と胸が高鳴ったのである。

ちなみにこのノートに記入できるのは100冊まで。10月31日に1冊目を記入し、1月24日現在17枠が埋まっている。これが遅いのかどうかわからないが(早くはなさそう)、ひとまず3ヶ月間継続できている自分を褒めたい。もしかすると、すでに15分の朝読書よりも続いているかもしれない。

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「記録したい」が先立った読書習慣(ムラあり)だが、最近は読む意味を意識した上で読めるようになってきた。

私の場合は、視野の拡大と文章の勉強。
私はnoteでエッセイを投稿しているのだが、読まずに書くばかりだと次第に行き詰ったり、我ながら「面白くないな」と感じるものができたりする。
本を開くと、自分のなかにそれまでなかった体験や思考がなだれ込んでくる。同じような考えかたでも、それが端的に言語化されていることに感動を覚えたりする。

そして心なしか、読書をしたあとのほうが筆がのりやすい。ちなみに、「これは文章にも読みやすさが表れているに違いない!」と身内に変化を聞いてみたところ、「?」という反応だった。冷静に考えれば当然の話だが、一朝一夕では変わらないらしい。もっと読んで、もっと書かなければならない。
なにはともあれ。純粋に中身を楽しむだけでなく、知見を深めたり文章を学んだりできる読書ってすごいな……と読書初心者のようなことを思うのだった。

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2025私の宣言というテーマだが、ここで〈読書ノートを使い切る〉といったことは言わないことにする。無理だ~となってフェードアウトする未来が見えるから。

念には念を入れて〈読書ノートを継続する〉という緩め設定もしない。宣言することで重荷に感じる未来がm……

ひとまず、借りていた本を昨日読み終えたので、今日は図書館にでも行ってこようと思う。