私は今まで、欲望を行動に移すことが苦手であった。
やりたいと思っても、それにかかる時間や労力に比例するものかと考えると、到底比例するものではないと感じてしまう。

ほしい服や行ってみたい場所。SNSで見るたびブックマークに保存して、見返さずにどんどん溜まっていくだけ。期限切れの宝物がわんさか積まれていく。

「どこか行きたいところとかないの?」「なにか食べたいものとかある?」ときかれても、その時には宝の山の存在を忘れ、「ないかな」と答える始末。友人の行きたいところについていったり、とりあえず「昨日の晩御飯は米だったから、今日はパスタかな」といった気分で、ハッシュタグに引っかかったお店を見て、気になったところを友人に決めてもらう。

ただ、友人が「○○食べてみたい!」といったものに対しては、すぐに美味しそうなお店を調べ、友人の喜ぶ顔見たさに検索し続ける。

私は、他人のために行動することは得意だが、自分のために行動するのは極めて億劫に感じてしまう性格なのである。

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そんな欲のない私が、去年の12月になってから変わり始めた。
所属していたサークルの活動がひと段落し、毎週土曜日の恒例だったミーティングも顔を出さなくてよくなった。1年生の頃から18:00に決まっていた場所に行くこともなくなり、解放感にあふれていた夕暮れ時、家でのんびりしながらSNSを眺めていたところ、興味を惹く投稿に出会った。

『なぜ恋してしまうのか?展』

投稿にあった動画は、至る所に恋にまつわる歌詞や和歌が展示されており、気付いたらどこで展示されているのか、気になって調べていた。妙に心惹かれた。最近、恋人のことで悩んでいたからかもしれない。でも、それだけじゃない何かが、私の興味関心をくすぐった。

どんどん調べてみると、場所が水戸市の歴史館であること、開催日程が1月末までであることを知った。いつもの私なら、「水戸?家から遠いな、交通費結構かかるな。1月は忙しいし、今回も、無理か」と、ページを閉じてしまうだろう。でも、今日だけは違った。
「気になる。行きたい」私の欲望が労力に勝った瞬間であった。

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私は中学からの友人にすぐLINEを送った。「これ、気になるんだ。1月中に行かない?遠いから、無理はせず」彼女の生活に支障をきたしたくない。だからこそ、彼女自身を気遣いながら欲望を表出させた。

すると、1分も経たないうちに既読が付いた。「面白そう。行こう」自身の欲望が友人の欲望にもなり、欲が2重にも増した瞬間であった。

そこから話は早く進んだ。交通手段や向こうでやりたいこと。観光地ではあるが、お互い免許を持っていないため、車なしで楽しめるプランを某AIに頼ったりした。現代っ子の決め方だよな。自分でもそう思う。ただ、そんなことその時は考えなかった。

過去の私にとって、全ての手段が欲望を叶えるための後押しをしてくれているように感じた。

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いざ当日。昼過ぎに到着した私たちは、昼食後に歴史館を訪れた。画面の奥の世界が、目の前でちゃんと実在していることに喜びを感じた。展示内容のすべてに目を通し、心で感じたことや考えたこと、この和歌を詠んだ人の背景には何が隠されていたんだろうと、昔の人を思い、未来の恋の形について考えた。

よく周りから考えすぎる性格だといわれてきたが、この特性がプラスに働いた瞬間であったのかもしれない。展示物を見ているときだけ、自分の心と真正面から向き合うことができ、今までにないような充実感を得た時間であった。

その日から私は、「気になる場所へ足を運ぶこと」を2025年の目標にした。やりたいことをやる。行きたいところに行く。食べたいものを食べる。難しいことだけど、欲望を行動に移した先にある自分自身と向き合う時間は、私にとって大切で無くてはならない必要な時間であることを実感した。

来年から、社会の荒波に揉まれながら情緒不安定な日々を送るのだろう。そんな私にとって、今年の経験は思ったよりも重要だ。だからこそ、2025年は、自分と自分の二者面談をしながら有意義な時間を過ごしたい。