食べるのが怖かった私の、忘れられない「普通の」チーズトースト

漫画やアニメや映画や小説で、食がテーマの作品ではなくても、食事のシーンが妙に印象に残ったり、作中で出てくるものが妙に美味しそうに見えたり……私は、そういうことがよくある。
『ハリー・ポッター』シリーズの広間のご馳走シーンは言わずもがな(イギリス料理はちょっとアレだとか聞くが、実際はどうなんだろう……?)、『鬼滅の刃』で主人公の炭治郎が作っていた焼きおにぎりも美味しそうだった。小さい頃、『もののけ姫』でサンがアシタカに干し肉を食べさせるシーンが妙に好きだったのだが、その頃の私の世界に「干し肉」というものは存在していなかったため、あれは味付け海苔を食べているのだと私は理解した。それで、サンを真似して味付け海苔を豪快に食いちぎろうとしては……あれ?あんなに固そうな食いちぎり方ができないな?と首を傾げていたり。
……今まであまり意識したことがなかったけれど、もしかしたら私は、食べることが好きな方……なのかもしれない。どちらかというと、食べることには苦手意識の方を強く持っているように思っていたのだけれど……。
子供の頃から胃腸が弱く、虚弱体質で、「お菓子もご飯も何でもモリモリ、とっても元気!」というタイプでは決してなかった。
食べな食べな、というのは、何だか異様に痩せていて、遠慮深げな食べ方をする子供に対する大人の愛情で優しさなのだろうけれど、それをプレッシャーに感じることの方が多かったように思う。食べてもすぐお腹が痛くなることも辛かったから、食べること自体、特に、誰かと食事の席を共にすることも、私にはずっと怖いことだった。
食に関するシーンは、いつも、周りの大人の目や口を気にする気持ちと、自分の体の間の板挟みになっている感覚だったかもしれない。「〇〇ちゃんは何でもいっぱい食べて、元気で可愛いね」なんて、友達が言われているのを隣で聞いているのも、子供心に苦しくて仕方がなかった記憶がある。
だからこそ、漫画や映画の世界で描かれる食事のシーンに、一人でキラキラ目を輝かせるようになったのかもしれない。それに、成長とともに、「それはあんまり食べたくない」「もういらない」「これは好き」を自由に言えて、自由に振る舞える友達同士でのおやつや食事は楽しいことに気付いて、食べることも好きになっていったというのもあるように思う。今思えば、特に子供時代に、大人からの「愛ある」目線や振る舞い、他の子との比較やジャッジで傷つくことが多々あった反面、「まああんた、そういうヤツだもんね」で軽く受け入れてもらえる友達関係に恵まれたことは、すごくありがたいことだった。
そんな友達の一人が作ってくれたチーズトーストが、なぜだか私は今でも「めちゃくちゃ美味しかったもの」と、よく思い出す。
小学校の五年生か六年生の頃だったと思う。その子は、「いつもクラスの中心にいるタイプのギャル」みたいな子だった。
元々その子と仲が良かったわけではなかったと思うのだけど、何のきっかけだったか、あるときから、その子と、その子とよく一緒にいる女の子たちともよく遊ぶようになった……ような覚えがある。冬になり雪が降ると、除雪車が寄せた雪で作っていった雪山で鬼ごっこをしたり……。
そんなふうに、雪山で散々鬼ごっこをしまくったあとのある日のことだ。いつものように、その子の家に上がらせてもらっていた。そうして、ストーブの前で、みんなで濡れた靴下や手袋を乾かさせてもらっていたときだ。そこへ、「おやつの用意してくるから」と、一人キッチンに行っていたその子が、おぼんを手に戻ってきた。
おぼんの上には、人数分の、まだアツアツのチーズトーストが載っていた。パンはカリッとしているけれど、ふかふかで、チーズがそこにとろっととろけてくる。私は当時、チーズの酸っぱ味みたいなのが正直、あまり得意ではなかったのだけれど、私の苦手なその酸っぱ味がなくて、とろっと濃厚で、あっという間に冷えた体がぽかぽかになった。
「すごく美味しい。どうやって作ったの?」私は思わず身を乗り出した。が、その子は苦笑して、「え?普通に……チーズ乗せて焼いただけだけど」と、そんな私にむしろ戸惑っている様子だった。
散々楽しく遊び倒した後だったから、あれだけ美味しかったのだろうか。それとも、何か、私には分からないところでの、その子の「作り方の常識」の中に、美味しさの秘訣があったのだろうか。
あのときの味にまた出会おうと、私は今でも自分で作り、お店で食べ、チーズトーストを求め続けている。けれど、なぜだか、あのときのチーズトーストが一番美味しかったとやっぱり思うのだ。
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